また例によっての一年ぶりの野暮用ってことで、ちょいと少しの間失礼いたします。。。m(__)m
さて、時刻は午前11時半を回っていたのでJR拝島駅の反対側へ出て、昼食を摂ることになった。
拝島駅前と言えば、昨年来ちゃらぽこの散歩会で歩いた「青梅街道を歩く」で、何度か打ち上げを行っていた場所だった。
別に拝島駅前にちょうー美味しくて安い店がある、と言う訳ではなかったが、散歩会で歩いてその日にゴールした駅周辺に、打ち上げを行うのに適当な店がなかったと言うことで、結果として拝島駅まで移動して来て駅前の居酒屋へ突入!!した訳だった。
そのため、自由通路で駅の改札前を通って反対側に出た時に、「拝島駅ってこんな風になっていたんだ・・・」と、ちょっと意外な気がした。
と言うのは、過去何回か打ち上げが終わって拝島駅から青梅線に乗った時は、ほとんどへべれけになっていて、駅の様子など記憶になかったのだ。
それと同じように、駅前の通りに出ると、これまでは夕暮れ時の駅前しか知らなかったので、何だか昼間に見る駅前の通りは新鮮な気持ちがした。(^.^)
さてそれで昼食は、駅前通りの一本多摩川よりの通りにあった「かつ膳」と言うとんかつの店で摂った。
それで、せっかくのとんかつの店と言うことなので、ホントは久々にカツ丼が食べたかったが、メニューを見るとカツ丼の文字は見当たらなかった。
注文をする時に念のために店の人に聞いてみたが、やはり、ない、とのことだった。
それで、「ロースかつ煮定食」を注文した。
なんでカツ丼がないんだろう?

と思ったが、ロースかつ煮定食が出て来てその理由がわかった。
と言うのは、この店では、とんかつを熱々の状態で出すために、熱々の皿に盛ってカツを出していたのだ。
このような方法でカツを提供するとなると、カツ丼は「できない」と言うことになったんだろう。
それにしても、出て来たロースかつ煮は熱々で美味しかった(^.^)
・・・

食事を終えた後は再び拝島駅の反対側に戻って、玉川上水に沿って歩いた。
その辺りになると、上水に沿って遊歩道が出来ていて、新緑がとても気持ちいいルートになっていた。
そうこうしていると、右手にはゴルフ場が見えて来た。
都内のこんなところにゴルフ場があるのか!?と思ったが「昭和の森GC」と言うコースらしかった

そして、その名も西武拝島線の「玉川上水駅」を過ぎた先で、何と、足湯に入れる施設があった。
それで、そこに立ち寄って、しばし足湯を楽しんだ。
いやぁ~~、リラックスできて、疲れも吹っ飛んでしまったねぇ~~~^_^;

と言うことで、その後はサクサクと歩いて当初の予定通り、西武国分寺線の鷹の台駅に到着して終了となった。
いやぁ~~~、
後半のルートは、緑に囲まれていいルートだったぁ~~!ヽ(^o^)丿

集合は、午前9時半、JR青梅線の福生駅だった。
自宅を出てからここまで来るのに、何と!!
2時間半も掛かる予定だった。
が、乗り継ぎがスムーズにいって、2時間強で着いてしまった。^_^;
と言うことで、そこからスタートして、最寄りの玉川上水へ出て歩き始めた。

駅前をスタートしてすぐに、目の前には遠くに白い富士山がくっきりと見えていた。
昨日は朝から天気は良好で、福生に着く前から電車の中から富士山が見えていた。
都内の23区内だと高層ビルが林立しているために、天気が良くてもなかなか富士山を見ることは出来ないんだろうけど、この辺りまで来ると見晴らしがいいので富士山の眺望は素晴らしい!(^.^)
朝から気分も上々だ!
さて、最初のうちは、玉川上水沿いには歩道がなくて、川沿いには歩けなくやむなく出来るだけ上水に沿うようにして歩いた。
普通、川には堤防があってその上には遊歩道のようなものがあるのが一般的だと思っていたが、どう言う訳か玉川上水のこの辺りは、上水のすぐ近くまで民家が迫っているところがあって、その部分は通行が出来なくなっている、と言うところが多かった。
何でそんなことになっているんだろう?
公共的な場所に民家が建っていると言うこと・・・。
と、そんなことを話しながら歩いていたら、それはここが「上水」であるために一般の人の通行を禁止していた時期があったと言う話があった。
上水のすぐ傍を一般人が通行すると、どうしても上水が汚れる、と言うことなのだそうだ。
なるほど・・・。
上水は江戸市民が飲むための用水だった訳で、汚れては困る訳だ。
と、そうして人が歩けないようになっていた頃に、そこに人が家を建てて住んでしまったと言うことなんだろうか?
いずれにしても、玉川上水のすぐ間際まで民家が迫っていると言うところが多くて、なかなか上水に沿って歩くのは困難な区間が続いた。

そして、10時40分の頃、青梅線の踏切を渡ったが、その踏切の名前が「上水西踏切」となっていた。
玉川上水の名前が付けられているなんて、何となくうれしくなってしまった。
街道歩きをしている時も、「東海道◎◎踏切」とか「甲州街道第◎踏切」と言う踏切があって、そんな踏切を渡る時は嬉しかったが、それと同じことなのかもしれない。(^.^)
その先には「みずくらいど公園」と言う公園があった。
公園と言っても、玉川上水と関わりのある場所を利用しての公園で、ちょっと見「森の中」と言った感じだった。
それで、その「みずくらいど」とは何ぞや?、、、と言うことだったが、これはどこぞの外国語ではなく、はたまた「くらんど=蔵人」のような古語ではないようだった。
それなら何?、、、と言うことだが、公園の入口には「水喰土公園」と言う文字が書かれてあった。
「水喰土=みずくらんど」と言うことで、この地は玉川上水を掘削した時に、掘っても掘っても土が水を吸い込んでしまって、結果として上水を引くには適さない土地だった、と言うことらしかったのだ。
聞くところによると、玉川上水を引く際には途中2回失敗していて掘削する場所を変更したらしいと言うことだが、そのうちの一回がこの地と言うことだった。

それでこの公園の中に入って行くと、掘削した後、、、掘ってはみたが結局ダメで玉川上水としては使われなかったと言う場所が福生市指定の「玉川上水開削工事跡」と言うことで残っていた。
そしてその現場まで行くと、そこには戦国時代の山城の空堀のような、明らかに人工的な掘削した跡が残っていた。
その公園を出た先では、JR八高線と青梅線と五日市線が合流するような形になっているところがあった。
実際はその3つの路線がその先の拝島駅で合流するようになっていた、と言うことで、その先には拝島駅があった。
その頃時刻は午前11時半頃になっていた。
それで時間的には少し早いが、この場を逃すとこの先でそれなりの食事が出来そうになさそうと言うことで、玉川上水からは一時離れるが、拝島駅前に出て、早目の昼食を摂ることになった。
・・・
以下、続く・・・。

今日は、東京の東高円寺にある「お散歩カフェ ちゃらぽこ」の散歩企画で、「玉川上水を歩く」の一回目として、東京都福生市のJR福生駅から西武線の鷹の台駅までの約17kmを歩いて来た。
ま、
途中いろいろあったことは明日以降アップするとして、、、

いつものように目標地点まで歩いた後は電車に乗ってJR国分寺駅まで移動して、駅前の居酒屋で3時間飲み放題メニューで乾杯!!
いやぁ~~、
結構な5月の休日の一日でございました、、、^_^;
22時から「たけしのニッポンのミカタ」と言う番組がやっていた。
今回のテーマは「マナー」。
で、その中で、いくつかの事例が取り上げれていた。
その一番目が、
「レストラン等で料理の写真を撮るのはマナー違反だと言う意見がある」と言うこと。
これには賛否両論あった。
と言うか、賛否両論あることにちょっと意外だった。
何せ、自分では極当たり前のように、その手の写真を撮っていたからだ。
それで、マナー違反だとする人の意見を聞くと、楽しい食事中に、シャッター音が聞こえると食事だ台無しになると言うことだった。
また、食事を楽しみながら会話をしている時にカメラ撮影をされると、その楽しさが中断されてしまうと言う。
この理由は食事をしている相手が、自分との会話をおいて写真を撮っていると言う行為に不満があるんだろうと思った。
となると、一般論としての食事中のカメラ撮影のマナーについて云々、ってこととはちと違うかも?
そんな話を聞いていて、恐らく、雰囲気を大事にする店では迷惑に感じる客もいるんだろうな、、、。
そう思った。
ま、自分の場合は、その手の店にはいかないから、マナーを論じる次元が違うのかもしれない。
次は、電車の中で化粧をすること。
これも賛否両論あった。
次は、電車の中で食事をすること。
これも賛否両論あったが、立場に寄っていろいろな意見があるんだな、、、。
新幹線の中でイカを食べる人がいると、その車両全体がイカの臭いで充満すると言う意見があったが、それに対しては、「確かに臭うけど駅の売店で売っているものだから、車内で食べてもいいってことじゃない?」と言う考えもあった。
そうか、、、
しかし、車内で食べちゃいけないなら、駅弁はどうなるうんだ?
それは違うだろう・・・。
そう言えば、春先に例幣使街道を歩くのに早朝の電車に乗って現地へ向かった際、車内でおにぎりを食べたが、あれも見る人にとってはマナー違反だったってことか・・・。
でも、同じ車内で他に2~3人、サンドイッチとかおにぎりを食べていた人もいたよな・・・。
要は、時と場合によってってことなんだろうか?
まぁね、、、
マナーって、考えてみると難しいね(-_-;)
結局、番組の中でも、それぞれのケースについて、マナー違反かどうかの結論は出していなかった。
って言うか、結論は出せないってことなんだろうね。^_^;
所用で郵便局の郵便窓口に行った。
それで、必要書類を提出して係りの人に手続きをしてもらってそれが出来るまで待っている間に、ふとその窓口の横に、何種類かの記念切手のシートがぶら下がっているのが目に入って来た。
それはここ直近で販売された記念切手のようで、そこにぶら下がっていると言うことは、売り切れてなくてまだ残っていると言うことなんだろう。
それでその中には、「切手趣味週間」の切ってシートもあって、驚いた。
小学校の高学年から中学生の頃まで数年間、記念切手を収集すると言う趣味にはまったことがあって、その頃は切手趣味週間と言ったら、是非とも集めたいシリーズのひとつだった。
しかし、当時の小中学生の小遣いで全部揃えられることは出来ず、、、ほとんど集めても「月に雁」なんて言う切手は、どう考えても買えるものではなかった。
また、同じように「国際文通週間」と言うシリーズがあって、こちらは歌川広重の東海道五十三次の浮世絵を題材にしたものだったが、これは切手趣味週間に比べれば多少は手が届く値段だったので、その後社会人になった時に、気が付いた時に一枚、また一枚と買い足したものだった。
その国際文通週間のシリーズが東海道五十三次を題材にしていてそのシリーズをこまめに集めていたことが、その後自分で東海道五十三次を歩くと言うその遠因になっていたのかもしれない、と今では思うが、確かにそうだったのかもしれない。
それにしても、切手趣味週間の記念切手が発売当日に売り切れにならないでこうやって残っていると言うことは、それだけ記念切手を趣味として集めている人が少なくなったと言うことなんだろうか。
それとも郵政が民営化されてから、記念切手をバンバン発行しているようだから、もしかすると発行枚数が昔に比べるとかなり多くなっていて、需要は昔ほど変わらないけど供給量が増えたために「発行日当日の完売」が少なくなったんだろうか。
ま、原因はわからないけど、買いたい時にまだ残っていると言うのはありがいことだ。
そんなことを思いながら、そこにぶら下がっていた記念切手の見本のシートをめくっていたら、何と、葛飾北斎の冨嶽三十六景の浮世絵を題材にした切手のシートが出て来た。

浮世絵は元々好きだし、北斎の作品展が今ちょうど東京の日本橋の三井の美術館で開催されていて見に行こうかと思っていて関心があったところだったので思わずそのシートを買ってしまった。
一枚80円の切ってが10種類で800円。
しかしよく見ると「日本国際切手展2011」と言う記念切手だった。
2011ってことは去年か?
ってことは、随分と売れ残っているってことか?
帰宅してインターネットで調べたら、何と、昨年の7月28日に発行されたと言うことがわかった。
うっひょ~~!!(*_*)
ま、衝動買いと言うことだけど、郵便物を送る時に使えるしね。^_^;
それにしても、発行してから9カ月以上も販売しているとは、、、
これが今の記念切手発行の実態のひとつなのかもしれない・・・。(-_-;)
追分羊羹の店の前の旧道を進むと、その先でJR東海道線と静鉄清水線の線路を渡り、その後は多少の曲がり道はあるもののほとんど道なりに進んだ。
そして、狐ケ崎を過ぎて有度第一小学校の前を過ぎると、その先で左手からやってきた県道407号線と合流した。
その交差点を過ぎるとその辺りの地名は「草薙」となっていた。
追分羊羹の店の前から約2km進んで来ていて途中コンビニでトイレ休憩をとってはいたが、ぼちぼち足を休めるためにどこか店に入って休憩をとりたかった。
それで、それらしい店を探しながら進んだが、県道408号線となっている旧東海道沿いには、なかなかそれらしい店は見当たらなかった。
一軒、コンビニのミニストップがあってイートインコーナーがあるのがわかったのでそこで休もうと思ったが、よく見ると若い客達が席を占有しているのが見えたので、そこでは休憩をとることを諦めた。

そうこうしながら歩いていると、右手の道沿いに大きな狸の像、、、それは信楽焼でよく見るあの姿のものだったが、こんな大きな狸が焼けるものなのか?と思うくらい大きな狸の像が立っていた。
東海道と信楽焼風の狸の像とは特に関係なさそうだし、何でここに狸の像があるのかな?、と足を止めて見た所、その狸の像のすぐ左に「草薙の一里塚」の碑が立っていて、更にそのすぐ横には「東海道」と題した説明板も立っていた。
「へぇ~~、この辺りに一里塚があったのか・・・、この前の一里塚は江尻宿に入ったところだっけ?」、そんな話をしたが、児玉幸多氏監修の講談社の「東海道を歩く」には、この一里塚についての記載はなかったので、危うく通り過ぎるところだった。
そう考えると、狸様々、と言った感じだった。
そう言えば、先ほどのミニストップがあった辺りの北側一帯は、地図には「草薙一里山」と言う表記になっていた。
また、その近くには「一里山」とか「一里塚」と言う名前が付いた建物や施設がいくつかあったので、実際の一里塚は既になくなってしまっているが、地名にはその名残があると言うことなんだろう。
さて、狸の像を後にして、喫茶店かファミレスかファーストフードの店でもないかな?と思いつつ進んだが、必要だと思って探すと意外にないものだ。
それで、草薙駅の手前のところで、県道の左手にパンのバイキングをやっているような店があった。
見ると、デザートやスイーツが店内で食べられそうだったので入ってみたが、入店した時に店の奥の方から「は~い」と言う返事が聞こえたきり誰も店頭に出て来なかったので、ダメだと思って諦めて店から出てしまった。
見つからない時はホントに見つからないものだ。
最近はスマートフォンなる文明の利器があって、それを持っている人があれこれ検索して調べてくれたが、それでもそれっぽい店は見つからなかった。
そうこうしているうちに、左手目の前に巨大な鳥居が現れた。
それは草薙神社の大鳥居で、その鳥居を見つけたらそこはJR草薙駅の駅前だ。
旧道はその大鳥居のあるところを左折して、県道408号線から一本入った住宅街の中の道を進むことになるので、もうそうなると、休憩できる店を見つけるのはほとんど無理だとわかっていた。
と言うことで、休憩をとれずに住宅街の中を900mほど進んだところで、静岡市清水区から静岡市駿河区へと入った。
ここまで来ればJR静岡駅まではもうすぐだ。
しかし、その頃時刻は既に午後5時を回っていた。
陽が落ちるのが遅くなっているとは言え、午後6時を過ぎたらもう歩くのは止めた方がいいだろう。
暗くなってから無理して歩いても楽しいことはない。
それで、その先正面に見えた「草薙総合運動場野球場」に突き当たったところで右折し、県道408号線を横切って静鉄清水線の「県総合運動運動場駅」の前を通って進むと、その先の道はJR東海道線に突き当たりその先で道は線路に沿うように左手に伸びていた。

旧東海道はその線路のところを突っ切って進んでいたので、そこにはそのことを示す碑が立っていた。
そこで、そこから線路の下を狭いガードで潜って反対側に出て進んだが、もうその頃になると時間との勝負、と言う気持ちがあって、とにかく急いで歩いていた。
線路下のガードを潜った先は「古庄」と言うところだった。

途中、東海道の案内標識で「古庄」があって、次の府中宿の宿境までは三十町(約3.3km)と書かれてあった。
このペースで行けば途中休憩なしで歩いたとしても1時間は掛かりそうだ。
と言うことは、やはり、明るいうちに静岡駅近くまで行くのは無理のようだぞ・・・。
そして、そこを500mほど進むと、右手からやって来ていた国道1号線と合流し、100mほど進んで再び国道1号線とは別れて右手に進んだ。

ところで、旧道が国道1号線と合流していた交差点のところに、「兎餅」と言う看板があった。
手前に塀があって今一よく見えないが、「駿河三大名物」と書かれてあった。
東海道を歩いていて、駿河の三大名物のひとつが「兎餅」だったなんて、今まで気が付かなかった。
安倍川餅はあれほど有名なのに、何でなんだろう?
それよりも、「跡地」と書かれているのはどう言うことなんだ?
何だか謎がいっぱいの看板だ・・・(-.-)
それはそれとしても、兎餅、、、
機会があれば是非一度食べてみたいものだ。(^.^)
さて、その交差点を過ぎると時刻は午後5時40分を回っていた。
その先の旧道の右手には静鉄清水線が走り、左手には国道1号線を挟んでJR東海道線が走っていた。
それで、午後6時を目途にその時点で最寄りのどちらかの駅で東海道歩きは終了することにした。

と言うことで、進んで行くと、右手の静鉄清水線の長沼駅前を通り過ぎたところに「長沼一里塚」の碑があった。
「あれ?ってことは、もう草薙の狸のところから4km来たってこと?」
一所懸命歩いていると、意外に距離が稼げるものだ。
と、ちょうどその時、スマートフォンで地図をチェックしていたメンバーのひとりが、その近くでJR東静岡駅に出られると教えてくれた。
手持ちの講談社のガイドブックは2001年に東海道を歩く際に買って参考にした資料で、その地図にはJR東静岡駅は載ってなかった。
と言うことは、2001年当時は、まだ東静岡駅は出来てなかったってことか?
それにしても、スマートフォンは便利だね^_^;
と言うことで、時刻はほぼ午後6時になっていたので、それならここで終了することにして、そこから国道1号線を渡ってJR東静岡駅に向かった。
・・・

その後は、JR東静岡駅から東海道線に乗ってひとつめの静岡駅に向かい、そこで下車して駅前の「海ぼうず」と言う居酒屋で打ち上げを行った。

静岡と言えば静岡おでん!
清水名物の黒はんぺんもあるぞ!

飲みものは、さすがの静岡らしく、お茶いりのサワー系に、何と、お茶入りの日本酒もあるぞ!!
むぅ~~、
美味かったぁ~~!!
ヽ(^o^)丿
エスパルスドリームプラザで食事を終えて再びJR清水駅前の東海道の交差点まで戻って来て東海道歩きを再開すると、旧道はその先で右に曲がった。

その辺りは「銀座」と言う地名が付いていたが、その先の商店街は日曜日だと言うのに、と言うか、日曜日だからと言うのか、がらんとして通りを歩く人の姿はほとんど見かけなかった。
また、車道を走る車もほとんどなく、何とも寂しい印象の商店街だった。
江戸時代にはこの辺りが江尻宿のメインストリートだったんだろうから、それを思うとなお更寂しい気がした。
その商店街を380mほど進むと旧道は左に曲がって、その先に流れる巴川に架かる「稚児橋」を渡るが、ちょっと寄り道をして、そこを曲がらないで真っすぐ50mほど進んで突き当たりにある稲荷神社に立ち寄った。

その神社は別名「サッカー神社」と言われていて、境内には巨大なサッカーボールの石造があった。
そこに書かれていた説明によると、
「昭和30年代の日本のサッカーは、いわゆる御三家と呼ばれた広島、藤枝、浦和を中心に展開していたが、その頃この魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー好きの堀田哲爾が新任教師として赴任して来た。その日から彼は毎日運動場でサッカーボールを蹴って子供達にサッカーを教えた。
これが『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけになった」と言うことだった。
サッカーの町清水の原点がこの地にあったと言うことなんだろう。
それにしても、このサッカーボールの像はでかかった。
これだけでも数十万円から百数十万円、くらいはするのではないだろうか。
ま、それくらいの予算を使っても、サッカーの町としてこのモニュメントは必要と言うことだったんだろう。
さて、東海道の道筋に戻って「稚児橋」を渡った。

この稚児橋には、左右の欄干の端にそれぞれ違うカッパの像があった。
そしてそこには、稚児橋の由来として、
「慶長12年(西暦1607年)徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日となった。 さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川の中から一人の童子が現れたとみるやするすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消えさった。渡り初めに集まった人たちはあまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。 なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。」と書かれてあった。
それでそれらのカッパの像を見て行くと、3体が男児で1体が女児の姿になっていた。
と言うことで、この稚児橋のカッパの像は、江尻宿のひとつのシンボル的な存在になっているのではないだろうか。

稚児橋を渡って少し進むとその先で道は変則的な交差点になっていて、旧道は斜め右手の道となっていた。
そこから先は暫く真っすぐな道となっていて西木戸跡を過ぎて江尻宿を出ると、真っすぐな道の向こうに、「追分羊羹」の派手な暖簾が見えて来た。
江尻宿と言えば東海道を歩く者にとっては「追分羊羹」だろう。
過去3回ここを歩いた時には3回ともこの店に立ち寄って、お茶の接待を受けて疲れた身体をひと休みさせることが出来た。
もちろん名物の追分羊羹を買ったが、その場で食べた一口用の羊羹は疲れた身体にはぐぐっと来たものだった。
そんな思い出があったもので、今回もその店に立ち寄ることを楽しみにしていたが、何と!!

店の前に着くと、シャッターが閉まっているではないか!!
と言うことは、遠くから見えていた暖簾と思ったものは何だったんだろう?
それはともかくとして、何と日曜日は休みになっていると言うことだった。
も~、信じられなかった。
東海道を歩いている人は、休日よりも平日が多いと言うことなんだろうか?
それと、最近聞いた話だが、最近は観光バスがこの追分羊羹の店に立ち寄ると言う。
もちろん、この店の前にバスを横付けさせる訳ではなく、観光バス用の駐車場を別に用意してあるらしい。
と言うことは、東海道を歩く客や地元の個人客よりも、団体客に目が行ってしまってると言うことなんだろうか?
日曜日に店を閉めても、東海道を歩いてこの店を訪れる客などたかが知れていると言うことなのかもしれない。
また、この店の追分羊羹は、静岡県内の主要な店や土産物店でも扱っていると言うこともあるんだろう。
わざわざここまで来なくても買えるようになった、と言うこともあるのかもしれない。
欲しければ、最寄りのどこかの店で買える、、、と言うことか。
そう言えば、清水駅前の土産物店にも、追分羊羹は並んでいたっけ・・・。
ま、残念だがしょうがない。
開いてないものは開いてないのだ。

ところで、この店が「追分羊羹」として江戸時代から有名だったのは、この場所が東海道と清水道の追分、即ち分岐点になっていたからだ。
ちょうどこの店の東側の角のところには追分の道標が立っていて、そこから南へ真っすぐな「清水道」が伸びていた。
清水道は、清水港へと続いていた?、、、恐らく、昼に食事をエスパルスドリームプラザが建っている辺りに続いていたんだろう。
店が閉まっていて残念だったが、それは止むをないこと、、、
と言うことで、追分羊羹の店を後にして、そのまま真っすぐに続く道を進んで行った。
・・・
以下、続く・・・。
この日の昼食は、JR清水駅から南へ約1.5km下ったところにある
「エスパルスドリームプラザ」と言う言う施設の中にある寿司店で摂ることにしていた。
と言うのも、前回の東海道歩きの際に蒲原宿の「旧五十嵐邸」に立ち寄ったところ、そこには
「道のエコミュージアム・東海道2峠6宿 駿河歩人(するがあいんど)」と表紙に大きく書かれたパンフレットのようなものがあった。
それは、静岡二峠六宿街道観光協会が発行している東海道の蒲原宿から丸子宿までの六宿とさった峠と宇津ノ谷峠の二峠の見所と周辺の地図をまとめた小冊子で、東海道が通っている自治体で発行している資料の中でもなかなかの出来栄えのものだった。
そして、その巻末にはスタンプラリーが行えるページが設けられていた。
そのスタンプラリーでのスタンプポイントは、蒲原宿では旧五十嵐邸、由比宿では東海道由比宿交流館、さった峠では望嶽亭、興津宿では坐漁荘となっていて、江尻宿ではエスパルスドリームプラザとなっていた。
それまで旧五十嵐邸でスタンプを押してから順番にスタンプを押して来ていたので、江尻宿でも是非とも押さなくては、、、
そんな事情があったので、旧東海道のルートからは外れていたが、せっかく立ち寄るのならそこで昼食を摂ろうと言うことになった。
・・・
江尻宿の中を通るまっすぐな東海道を歩いて「江尻東」と言う交差点に着いてそこから左手に曲がって行くと、正面にJR清水駅が建っていた。

それでその交差点で一時東海道からは外れて清水駅に向かい、駅の中の自由通路を通って反対側の東口(みなと口、、、ちなみに西口は「江尻口」と言う)に出ると、その近くのロータリーからエスパルスドリームプラザ行きの無料シャトルバスが運行していた。

それで乗り場に着くと15分おきに出ているバスがちょうど着いたところで、待っていた客が乗り始めていた。
そしてほぼ満席のバスに乗って約15分くらいだろうか、ストレートにバスはエスパルスドリームプラザに到着した。
エスパルスドリームプラザは、その名前が示すようにサッカーJリーグの清水エスパルスの応援拠点として清水の町の人達に集まってもらいたいとの理由から命名されたと言うことで、そこにはミュージアムやショップなどが集まっていた。
最初、スタンプをもらうためにここに立ち寄ることを考えた時、東海道のルートとはかなり離れていたので、時間的なことと往復で2.5~3kmくらい余分に歩くことでの身体への負担を考えてどうしようかと考えたが、実際に立ち寄ってみて清水の町の中にこれほど人が集まるところがあることを知ることが出来てよかった。
さて、バスが到着してすぐに目の前の建物の中に入ると、そこはいきなり静岡県のいろいろな物産を扱った「駿河みやげ横丁」と言う売り場になっていた。
ご当地ものの食品がたくさん並んでいて、他では恐らく買えない、、、と言うか我が町横浜では売っているのを見たことがないような品物がたくさんあったので、興味を魅かれたが、まずは食事・・・、

と言うことで、それらの売り場の中を通って奥へ進むと、突き当たった一帯は「すし横丁」と言う、寿司店ばかりが集まったところになっていた。
そして、そこには8軒の寿司店が並んでいたが、ちょうど昼時と言うこともあってか、どの店の前にも長い行列が出来ていた。
我々のメンバーの中に静岡の人がいて、お勧めの店と言うことで、三島宿から歩いた時にJR片浜駅近くで食事を摂った「魚がし」と言う店と同じ系列の
「魚がし」に入ることにした。
が、その店の前には恐らくすし横丁の中では一番長い行列じゃないかと思うほどの人が並んでいた。

これじゃ、何時になったら食事が出来るかわからない、、、と言うことでやむなく二番目の候補の店の前の列に並んだ。
その列は、見た感じでは10数人くらい並んでいるようだったので、そこそこ待てば食事が出来ると思った。
魚がしの方では、20~30人は並んでいたから、10人くらいでもまだ少ない方だと思った。
しかし、待っても待っても列は短くならず前に進まずで、前に並んでいた客がぽつぽつと列から離れて、他の店の列に移って行ったりしていた。
それで念のため、魚がしの列の方に二人行ってそちらにも並んでおいて、早そうな方に入ろうと言うことになった。

結局、一番列が長く出来ていた魚がしの方が早く、全員でそちらに移ってそこそこの待ち時間で店内に入ることが出来た。
後で調べてわかったことだが、すし横丁にある店の半分くらいの店は、席が10席前後くらいしかない小規模な店だった。
我々が二番目に並んだ店など、9席しかなかったので客の回転が悪く、列が前に進まなかったようだった。
それに比べて我々が並び変えた魚がしは70席もあった。
いやぁ~~、よかったよかった、、、(^.^)
・・・

漸く入ったその店は基本的には回転系の店だったが、レーンから離れたテーブル席もあって、そこではタッチパネルを使って注文するようになっていた。
それで各自で好きなネタを注文して食べることにした。
価格は激安、と言うことはなかったがそれなりにリーズナブルで美味しかった。
が、ひとつ、大きな問題があった。
それは、、、
ほとんどのネタは、注文してからさほど待つことなくスムーズに提供されて来たが、メンバーのほとんどの人が注文した「炙り三品」が、なかなか出て来なかったのだ。
最初は先に出て来た品を食べていたので気にならなかったが、気がつくと既に他の品は全て食べ終わって、あとは「炙り三品」が、出て来なかった。
最初のうちは「もうすぐ出て来るだろう」と言っていたがそれでもなかなか出て来ないので、店員さんを呼んで確認すると、「炙りの品の注文が多くて混んでいて、順番にやっていますので・・・」とのことだった。
「炙りって、そんなに時間が掛かるものなの?」
そんな話をしながら更に待っていたが、、、出て来なかった。
それで時間を確認すると、注文した皿が最初に出てきてから45分も経っていたので、これではいくらなんでも遅すぎじゃない?と言うことで、再度店員さんを呼んで「炙りの進行状況」を聞くと、「確認してきます」と言って一旦姿を消したが、すぐに戻って来て、「3分から5分でお出し出来ると思います」と言うことだった。
結局それから6~7分待ったところで、漸く「炙り三品」が出て来た。
それで、一応聞いておこうと持って店員さんに、「注文してから出て来るまで50分も掛かった理由は何なんですか?」と言うと、「注文が多くて順番にやっていまして…」と言う返事だった。
聞いたことに対して全然答えになってない答えだったが、それ以上聞いてもしょうがないので、それはそれで終わりにした。
「注文が多くて遅くなった」のは結果であって、「注文に対してそれを順調にさばききれない理由」があったはずだが、まぁ、しょうがない。
・・・
「炙り三品」が出て来るまでに予想以上に時間が掛かってしまったために、食後に駿河の海の幸山の幸のショッピングを楽しもうと思っていたのに、その時間がなくなってしまった。
それで、再びシャトルバスに乗ってJR清水駅に戻って、一時中断した東海道の地点「江尻東」の交差点に戻った時は午後3時15分の頃だった。
これはまずい、、、。
これじゃあ、予定通り静岡駅までたどり着けないかも、、、
そんな心配が、現実なものになりつつありそうな予感がして来た。
・・・
以下、続く・・・。