第十二日目 9月26日:その1
沈黙の塔
この日は、ゾロアスター教の「鳥葬」のために使われたと言う「沈黙の塔」を見学した後、途中中世のキャラバン・サライに立ち寄り、その後は一路「イスファハン」へと向かった。
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朝の散策
朝6時前に目が覚めると、ホテルの出発は8時だったのでまだ2時間くらいある、、、
朝食は7時からでまだ時間があるし、ただ待っているのも時間がもったいない。
それなら7時半くらいまでに戻って来て朝食を摂れば充分間に合う、と思って早速朝食前の朝の散策に出ることにした。
ホテルはヤズド市内からはちょっと離れたところに建っていたが、「沈黙の塔」へ向かう道の途中に建っていると言う立地だったので、その辺りの様子も見ておきたいと思った。
ホテルを出るとホテルの前の道は広くて整然としていたが、車はほとんど通っていないし人の姿も見えなかった。
そんな通りを少し歩いた後は、脇道に入ってみた。
脇道と言っても結構広い道路で、その辺りの道路は縦横に整備されていた。
それは昔ながらの下町の通りと言った感じではなく、住宅街として「造った」道と言う感じがした。
その通りを歩いていると、道の両脇には立派な家が並んでいた。
昨日セイフィさんに聞いたところによると、この辺りには「金持ち」の別荘が多いと言うことだった。
所々路上に乗用車が駐車していたが、中にはトヨタ車が何台かあった。
今までイランの中を移動して来て、ほとんど日本車を見る機会がなかったので、これは珍しかった。
世界の市場ではあちこちの国で日本車が走っているのを見るが、イランでは日本との貿易事情などで日本車ばかりでなく二輪車もほとんど見かけなかった。
それくらい「車」に関しては、イランでは「日本製」を見なかった。
二輪車の世界では、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの日本の4大メーカーのシェアは4社で世界の50%を超えると言うくらい人気があると言われている。
それがここイランでは、町中では車と同じくらい二輪車が走っているが、ほとんど日本メーカーの二輪車を見かけなかった。
時々町中で駐車している二輪車を見る機会があったが、何だか聞いたことのないような会社の名前やバイクの名前が表示されていた。 あれらは漢字で書かれたものがあったことからして、中国メーカーのものらしかった。
そんな中で珍しくこの日の朝見たトヨタの乗用車は、金額的にもこのような高級住宅街に住む人しかなかなか持てないのかもしれない。
それは、日本で言えば、さしずめ「ベンツ」や「BMW」に当たる存在と似たようなものなのかもしれない。
と言っても、そこで見たトヨタ車は「クラウン」や「セルシオ」ではなく、「カムリ」や「コロナ」だった。
朝食
散策を終えて7時20分の頃ホテルに戻ると、すぐにレストランに向かった。
さすがにその時間になると、ツアーの皆さんの姿はなかった。 まぁ、出発までにはまだ40分あるし、、、
そう思いながら、ほとんど誰もいないレストランでいつものように簡単な朝食を摂った。
沈黙の塔へ
予定通り8時にホテルを出発すると、まずは「沈黙の塔」へ向かった。
ホテルから沈黙の塔までは、ほんの数分だった。 歩いても30分もかからない距離だった。
バスから降りて入口を入ると、目の前には2つのこんもりとした丘が見えていた。
その丘の上にはその丘と一体となったような人工構造物が建っていた。
それらがいわゆる「沈黙の塔」だった。
それは高い方が男性用、低い方が女性用の塔になっていると言う。
*沈黙の塔(ダフメイェ・ザルトシュティヤーン):ダフメイェ・ザルトシュティヤーンとは「ゾロアスター教徒の墓場」と言う意味。 「ダフメ」と言った方が一般的だ。
「墓場」の名の通り、ゾロアスター教徒の遺体を葬る鳥葬(風葬)の場として実際に使用されていた岩山の塔。 その後、1930年代にレザーー・シャーが鳥葬を禁止、現在はゾロアスター教徒もイスラーム教徒と同様に土葬になった。
沈黙の塔は、高さ50mほどの小高い丘の上に建つ、直径10mぐらいの円形の壁で囲まれたシンプルなスペース。 石造りで外壁は泥で塗り固められている。(「地球の歩き方」より)
塔へ登る
高い方の丘の上の塔からは、ヤズドの町や低い方の塔の中の鳥葬場が望めるためにそちらの方が眺めがいいらしいと言うことだったが、登るのにちょっと大変と言うことで、我らは低い方の塔のある丘に登ることにした。
その登り道は結構急で滑りやすそうな乾いた土の道だったので、滑らないように足元に注意しながらゆっくりとセイフィさんの後に続いて登った。
女性で一番年配の大阪のMさん母娘さんのお母さんが塔のあるところまで登れるか心配だったが、皆さんと一緒に登ると言うことで、その丘の上に辿り着いた。
すると確かに上にはレンガで造られた円形の外壁ができていて、その切れ目から中に入るとそこはぽっかりと空いたスペースになっていた。
また、そこから眺めると、遠くにはヤズドの町、そして手前には今さっき入って来た入口やこの遺跡のある施設などが見えていた。
なかなか見晴らしは良かった。
ところで、ゾロアスター教徒は、火、土、水を神聖なものと考え、火葬、土葬、水葬はそれらを汚すことになるので嫌ったため、遺体をこのような屋根のない塔の上に置き、鳥が食べて自然に還すと言う方法を取ったと言うことだった。
遺体がここに安置されてから40日間はここに近づけないようになっていて、その後は残った遺体をここの中央にある穴に入れたと言う。
その穴の中には石灰系の薬が入っていて、それで残された遺体を溶かしたと言うことだった。
ロバおじさん
再び登って来た道を滑らないように気をつけながら降りて下の施設の辺りのところに戻ってくると、この施設の人なんだろうか、出口の辺りにロバを引いたおじいさんがいた。
1ドルのチップを払えばそのおじいさんの写真を撮らせてもらえると言うことで、4人の人が1ドルを支払って写真を撮っていた。
4人で4ドル。
イランの物価から言えば、相当効率のいい収入なんだろう。 何せ、途中で買ったあの干しブドウのエキスが、容器に入って約1キログラムで25,000レアル、約2.5ドルくらいだった。
30~40人のツアーが2~3組でも来れば、それだけで一か月分くらいの生活費はあっと言う間に出そうだなぁ~、なんて思ってみたが・・・
しかし、朝早いせいか、その時その沈黙の塔のある施設の中にいたのは、我らのツアーだけだった。
そして9時過ぎにバスに戻ると、ヤズドの町とはお別れと言うことで、一路イスファハンに向かって出発した。