第十三日目 9月27日:その2
イスファハン:
ヴァーンク教会とマスジェデ・イマーム
ヴァーンク教会へ向かう
ホテルを出てから今朝歩いた道を進むとすぐにザーヤンデ川に出るが、スィー・オ・セ橋は車の通行ができないので迂回した。 そしてその西にあるアブー・ザッル橋を渡って500mほど進むとジョルファー地区に入った。
この辺りは、17世紀の頃アッバース1世がイスファハンに新しい都を造るに際して、アルメニアから経済的に恵まれていた商人や大砲を造る職人を始めとする職人たちを連れて来て住まわせたところだと言う。
そのために、この地区でキリスト教を信仰する自由が認められ、現在でもこの辺りではアルメニア人がたくさん住んでいると言う。
そして「ジョルファー」と言うこの地区の名は、イラン北西部で現在はアゼルバイジャンとの国境にある彼らの故郷の町の名から来ていると言うことだ。
*ヴァーンク教会:ジョルファー地区にある1655~64年に建てられた教会。 13のアルメニア教会のうち、最も有名で観光客にも開かれている。 大聖堂にはマスジェドを思わせるドームがあるが、そのてっぺんに小さな十字架が立っているのでキリスト教会だとわかる。 内部は荘厳な雰囲気で、壁には「最後の審判」など旧約聖書の場面やアルメニア人にとっての聖人の画などが描かれている。 金色を多用しているのが特徴的だ。(「地球の歩き方」より)
アルメニア人虐殺の碑
正面入口を入って左手奥には比較的新しい感じの碑が建っていた。
それは、1915年にオスマン・トルコによって200万人のアルメニア人が虐殺されたことの記念碑と言うことだ。
ドーム内は撮影禁止
右手の教会のドームは外から見るとまるでモスクのような格好の屋根をしていたが、それはまぎれもなくキリスト教のドームだった。
そのドームの中に入ると、残念ながらそこから中の撮影はできなかった。
内部に入ると、そこには「さすが」と言うか、「やはり」と言うか、壁から天井に至るまで一面に明らかにイスラム風ではない、鮮やかな色彩の宗教画が描かれていた。
それらの絵画があまりに見事だったので、有料でもいいからパンフレットや絵ハガキのようなものがないかと思っていたところ、絵ハガキのセットが25,000レアルで売っていた。
(ここで買い逃すと買うチャンスはないかも?)と思ってざざっと見ると結構たくさん入っていたので、買ってしまった。
後でよくよく見ると、何と、16枚も入っていた。
いやぁ~~、買えてよかったなぁ~(^.^)
博物館の中も撮影禁止
ドームの見学を終えて外に出ると、その向かいに建っていた「博物館」の見学をした。
2階建のその博物館には、1階に14ページにわたって7カ国語で書かれている「世界最小」と言われる重さわずか「0.7g」の聖書が展示されていた。
その他に、0.1mmの幅の髪の毛に書かれた文字が展示されていた。
セイフィさんに説明されて、(まさか!)と思ったが、それには顕微鏡が設置されていて、肉眼では判読できなかった文字が、その顕微鏡を覗くと、間違いなく「そこ」には文字が書かれていた。
いやはや、、、ものすごい技術だと思った。
また、アルメニアの故郷、と言うことのようだが、トルコのアララット山を描いた絵や、同じくトルコのヴァン湖の中に浮かぶ島に建っていたアルメニア教会の絵が掛っていた。
その絵に描かれた景色は、昨年の夏に東トルコを訪れた際、実際にこの目で見た景色だったので、何だかあの時の景色が思い出された。
と言うか、、、
あの時は、今一ピンと来ていなかった「アルメニア教会」と言うものが、ここに来て、漸く少しは理解できたし、今回のイランツアーが昨年の東トルコツアーとつながったような気がした。
そして、この時博物館には幸いにも我らのツアーしかいなかったので、それらの他の展示物も含めてゆっくりと見学することが出来た。
その後博物館の中で若干のフリータイムとなったのでもう一度ぐるっと館内を見始めたが、そんな時、例の「JTB」の団体が館内に入って来た。
あ~よかった。
空いている間に、聖書や文字の書かれた髪の毛が見ることが出来て、、、^_^;
イマーム広場へ
ヴァーンク教会の見学を終えて、9時45分過ぎにはバスに乗って出発し、次に「チェヘル・ソトゥーン宮殿(四十柱宮殿)」に向かう予定だったが、道路が大渋滞となっていてバスがなかなか進まなかった。
そこで急遽予定を変更してイマーム広場へと向かうことになった。
*イマーム広場:またの名を、ナグシェ・ジャハーン。 「全世界の図」と言う意味だ。 その名の通り、アッバース1世は、政治・経済・信仰の全てが集約された最高の広場を造ろうと計画した。 建造に着手したのは1598年。 その後完成には何十年もかかったと言う。
有名な「イスファハン・ネスフェ・ジャハーン(イスファハンは世界の半分)」と言う言葉はこの広場のためにある、と言われる通り、広場そのものが巨大な美術品かオープン・ミュージーアムの様相を呈しており、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。(「地球の歩き方」より)
イマーム広場に着くと、昨晩夜景を見に来た時とは全く違った景色が目の前には広がっていた。
縦510m、横163mの長方形の広場は整然としていて、市民の憩いの場になっているような印象を受けた。
マスジェデ・イマーム(イマーム・モスク)
そして、まずはその広場を長方形に例えると、南側の短辺に当たるところに建っている「マスジェデ・イマーム(イマーム・モスク)」へ向かった。
広場に面したエイヴァーン(門)は、青を基調としたタイルで飾られていて、イワンの独特な鍾乳石調の屋根の下に立つとその装飾に圧倒されてしまった。
しかし、この門はメッカの方は向いていないと言う意味では本来の門ではなく、単に装飾的な門だと言うことを聞いて驚いてしまった。
と言うことは、5年もかけて造られたこの門の他に「本来の門」があると言うことなのだ。
それで、この門をくぐって門と同じような装飾がびっしりと施された回廊を進むと、その先の中庭の前に45度斜めになってメッカの方を向いている門が建っていた。
いやはや、すごい!
その門の奥には中央礼拝堂が建っていて、そのドームの内側は7色のタイルの装飾が施されていた。
その幾何学的な模様の緻密さには思わず目を見張ってしまった。
そして、このドームの真下に立つとその構造から、ものすごい反響がするように出来ていて、音や声が7回以上もこだますると言うことだ。
それで、現地ガイドのアフメッドさんがそこでコーランだかイランの歌だかを歌って、その反響の様子を聞かせてくれた。
モスクの内部に入ると壁のタイル画には、イスラムでは珍しく動物の絵が描かれているものがあった。
その他モスクの中には「夏用の神学校」「冬用の神学校」などの施設が建っていた。