兼六園の「随身坂口」から出ると、そのすぐ傍の交差点を渡ったところには、「藩老本多蔵品館」と言う施設が建っていた。
ここは、市の文化施設ではなく、財団法人が運営している施設で、加賀前田家の筆頭家老を勤めた本多家に伝わる軍装類や調度品が展示されていた。
そこで、せっかくだと思って見学して行くことにした。
この本多家は、徳川家康の側近として仕えていた本多正信の次男の本多政重が加賀本多家の初代となっていると言うことだ。
徳川家にとっては外様大名の前田家に、あの徳川の本多家の一族が仕えているとは、それだけでも興味があった。
しかし、、、
ここでも、中で見学している間、他には一人の他の客は入ってこなかった。
・・・
藩老本多蔵品館の見学を終えて外に出ると、時刻は午後1時半を過ぎていた。
朝食を摂ったのが結構遅い時間だったが、さすがにこの頃になると腹が減って来ていた。
しかし、辺りには食事が摂れそうな店はなかったので、取り敢えずその近くにある市の施設の「中村記念美術館」に行くことにした。
ここは共通拝観券を使って見学できる施設だったので、そこに行くまでにどこか店があればそこで食事を摂ろうと考えた。
しかし、、、
藩老本多蔵品館から10分ほど歩くと、もう中村記念美術館の近くまで来てしまった。
それでやむ無く、そこに入ることにした。
実はこの美術館、高校の修学旅行の自由行動の時に立ち寄ったところだった。
そこでは展示品の見学の他に、有料で抹茶とお茶菓子を出してくれるサービスがあり、高校生だった当時、まだ抹茶など飲んだことがなかったので、ワクワクしながら抹茶を飲んだ記憶があった。
その有料のサービス(100円)は、現在も行っているようだったが、何年か前に収蔵品が金沢市に寄贈され、その際新しく施設を建てて収蔵品をこちらに移したと言うことで、30数年前に立ち寄った建物とは違った「中村美術記念館」だった。
内部に入ると、中には誰も他に客の姿はなく、奥の休憩室で抹茶を飲んでいる客が2人いただけだった。
展示品は茶器が多く、茶器には今一興味がなかったので、さくさくっと見て周ってそのまま出てしまった。
しかし、、、
昨日入った「安江金箔工芸館」もそうだったが、、、
たまたまだったんだろうが、ほとんど誰も入って来ない文化施設を「市」が所有し維持管理すると言うのは、金沢市も大変だろうなぁ~と思ってしまった。
また、これを逆に考えると、民間では入館料収入だけではとても維持していけないだろう、、、だからこそ!、自治体で行っていることなんだろう、、、と思ったが、、、。
そんな考えでいいんだろうか?、、、とも考えてしまった。
自治体が運営するんだから採算は取れないでもいい、と言う考え方は、これからは許されないんじゃないかな?(*_*)
そんなことを考えつつ、食事を摂れる店を探しながら、足は次の目的地「にし茶屋街」へと向かっていた。
・・・
金沢城公園や兼六園がある一帯から南西方向に1kmほど歩くと「犀川」が流れていて、そこに架かる「桜橋」を渡ると、目の前には丘が見えて来た。
その丘を廻り込むように登って行くと、その先には「寺町」と呼ばれる寺院がたくさん集まっているところに出た。
ここは、前田家三代当主の前田利常が金沢城下の大改修を行った際、城下の寺院はここ寺町台と卯辰山、小立野台と言う3つの台地に集められたと言う、そんなところの一か所だった。
これらは、金沢城の守りの意味があって城塞としての役割を持っていたと言うことだ。
あの忍者寺として有名な「妙立寺(みょうりゅうじ)」も、ここ寺町に建っているのだ。
この妙立寺には、高校の修学旅行の時に訪れたが、伊賀上野の忍者屋敷で見たようないろいろなからくりが施されている寺だったように記憶している。
と言うことで、今回は敢えて中には入らず、ちょこっと庭先まで入って様子だけ伺って出て来てしまった。^_^;
この時入口付近には何組かの客が、見学の順番を待っていた。
この寺、内部の見学をするには事前の予約が必要だとガイドブックには書かれていたが、入口のところにあった案内には、予約してない客でも場合によっては見学できると思わせることが書かれていた。
しかし、食事が出来そうな店はなかった・・・。
もう、こうなったら、団子や饅頭のような餅菓子でもいいから、そんな店があったら入って何か食べよう、、、と思っていたが、ガイドブックに書かれているその手の店は、悉く閉まっていた。
まぁ~、そんなものだろう・・・。
旧街道を歩いている時もそうだ。
ない時は、ホントに食事ができる店には出会わないものだ。^_^;
寺町を過ぎてからは、「北陸鉄道石川線」と言う路線の「野町」と言う駅の近くを通って、「にし茶屋街」へと向かった。
ガイドブックに写っている写真では、かなり昔の風情ある街並みに見えたが、実際にそこに着いてみると、人通りはなく店もほとんど閉まっていた。
ただ、通りに面した建物は新しく整備されているようだったが、木造りの洒落た店が並んでいて、なかなかいい雰囲気だった。
その通りを出ようとした時に、一番端に建っていた店に暖簾が出ているのが目に入って来た。
ガイドブックには「うどん」と書かれてあったのでうどん屋だと思ったが、暖簾には「手打」と言う文字と「蕎麦」と言う文字が書かれてあった。
時刻は午後2時40分を過ぎていた。
今日の昼食は諦めよう、、、と思っていたところだったのでラッキ~!と思って、入口のドアを開けて中に入った。
すると、中には客の姿は一人もなかったので、「食事、やってますか?」と聞いてみると、「どぉぞ」と女性が返事をしてくれた。
いやはや、、、
これで、漸く食事にありつけるぞ!ヽ(^o^)丿