*この日はブルノの市内観光をした後、アルフォンス・ミュシャ生涯の大作「スラヴ叙事詩」を所蔵するブルノ近郊の「モラフスキー・クルムロフ城」へ向かった。
その後はプラハへ向かう途中に「ゼレナ・ホラ巡礼聖堂」を見学し、初日に訪れたプラハへと向かった。
昨晩の夕食後のこと
昨晩は、夕食の後、個人参加をしていたTさんのお誘いを受けて、夕食の際同じテーブルで食事をしていた宮崎から参加していたFさんのご主人と一緒にTさんの部屋に招かれた。
そこで、旅の話をしながら、Tさんがプラハに来る途中の免税店で買ったシーバスをいただいた。
何度かツアーに参加しているが、こう言うことはあまりないので楽しく過ごすことが出来た。
聞けば、宮崎から参加していたFさんは、リタイヤ後自身で小説を書き、もう5冊も出版していると言うことだった。
また、Tさんは見た感じ50代半ばくらいかな?と思っていたが、何と、実は65歳とのこと。
モザイク画を描くことを本業としていて、空港や百貨店などにTさんの作品が展示されていた、、、と言うか、発注者がいてその作品を作ったのでその作品は営業のためにその場に展示されていた訳だから、正しくはTさんが展示したと言うことではないが、、、
そのTさんの作品を写真で見せてもらうと、(そ~言えば、このモザイク画、どこかで見たことがあるよ~な・・・)、そんな作品だった。
皆さん、結構いろいろな背景があるんだなぁ~、、、そんなことを思った。
オーダーオムレツ
そんなことがあった翌朝は、9時半の出発だったが、6時半の頃には目覚めていた。
朝食を摂るために7時ホテルのレストランに行くと、同じツアーの人はまだ少なかった。
このレストランでは、チェコに来て初めての、オムレツを焼くコックがいた。
実は昨日、同じコックがいて、オムレツを焼いてもらおうと思って注文したところ、言葉が通じなかったようで、少し困惑してとこと「ダメだ」と横にいた別のコックに断れてしまった。
何でダメだったのか、言葉が通じないのでわからなかったので、しょうがない、、、諦めたが、今日は再チャレンジ!
と思ってそのコックの前に立った。
そのコックはと言うと、まだ20歳前くらいの、美人と言う感じではないが初々しさを感じるかわいいふっくらとした感じのコックだった。
そのコックの前には誰も並んでいない、そしてその手元を見てもまだ何も調理をしていなかったので、今注文すれば作ってもらえるだろうと思って、「いいすでか?」と言うニュアンスの言葉をかけた。
すると、ほっぺたが赤いその若いコックはこっくりとうなずいた。
ホテルのレストランでお好みのオムレツを注文する時はいつもそうだが、好き嫌いがないこともあって、「オールで・・・」と、そこに並んだ具材を全部入れてくれ、と頼むことにしている。
と言うことで、この日も「オールで・・・」と注文すると、「わかりました」と言う反応で早速オムレツを作り始めた。
そして、オムレツが出来上がって皿に移してこちらに渡してくれた時、「ジェックユー」と言うと、通じたんだかどうか、にっこりと微笑んでくれた。
その姿を見たら、何だかほっこりとしてしまった。^_^;
街の散策
食事を終えた後は、ホテル出発までまだ時間があったので、ホテルを出てブルノ市内の散策に出た。
一昨日の夕方、それと昨日の朝の2回歩いている町だったので、もう半分くらいは慣れ慣れの町、と言う感じで歩き出した。
歩き慣れた「自由広場」からトラムの線路に沿うようにして歩いて行くと、その先で角を曲がった先に「緑の広場」があった。
そこでは、まだ朝のこんな時間に?と思ったが、「市場」が開かれていた。
昨年は中東の国をいくつか周ったが、それらの国の市場では、店の人が何かと客に声を掛けていた。
そんな様子は日本でも同じだが、ここの市場の人は客に声を掛けると言う姿をほとんど見せなかった。
見ていると、愛想もなく無表情で、、、
それで商売になるの?、、、と思ったが、これはヨーロッパ全体でそうなのか、いやいやそうではなくて、ここチェコが20年近く前まで共産圏の国であったためまだその影響が残っているのか?、、、一体どっちなんだろう、、、と思った。
それにしても、チェコの販売人は、カルロヴィ・ヴァリの薬用酒の「ベヘロフカ」の販売員の人もそうだったが、全く愛想がなかった。
そうこうして街中を散策してホテルに戻った後、定刻通り、我ら一行は8時半にホテルを出発した。
出発した、とは言っても目の前の市内観光と言うことで、ホテルから歩いて観光に出発することになった。
ホテルを出ると、空模様はいつ雨が降るんだか、またはもってくれるんだか、と言う状況で、そんな空模様を気にしつつホテルを出ることになった。