早目の昼食
シュピルベルク城の見学を終えると、午後のスケジュールの関係でまだ11時を過ぎたばかりだったが、ブルノ市内のホテル:ボロネーゼの中にあるレストランで昼食を摂った。
ビールは2種類あったが、せっかくブルノにいるので、「スタロブルノ」と言う南モラヴィア地方でよく飲まれていると言う銘柄を注文した。 いわゆる「地ビール」となんだろう。
ビールを飲みながら料理が出てくるのを待っていた時に、同じテーブルにいた昨晩部屋にお招きを受けた一人参加の男性のTさんが、旅も後半の日程に入り慣れて来たためか、「あの添乗員さん、何かに似ているとず~と思っていたけど、、、漸くわかった! ◎◎に似てると思いません?」と口に出した。
同じテーブルにいた他の人達はその言葉を聞いて、何て答えていいか困ってしまったようで、苦笑いなどする人もいて、ちょっと場が白けてしまった。
旅においては、こう言うこともあるのかもしれないが、困ったものだ、、、(-.-)
その後出て来た料理は、一度食べたことがある細いヌードルが入ったコンソメスープに、メインディッシュはポークの煮込みとジャガイモをペースト状にしたものだった。
そして、デザートには卵白を焼いたものにチョコレートがかけてあるケーキが出て来た。
モラフスキー・クルムロフに向かう
午後0時20分、食事を終えてレストランを出るとブルノから南西に20数kmのところにあるモラフスキー・クルムロフへと向かった。
今日最終的に向かうプラハとは反対の方角だった。
ブルノの町を出て30分も走ると、辺りは草原地帯となっていた。 これがモラヴィアの景色なんだろうか? この先数10kmのところには、オーストリアとの国境があるはずだ。
途中、ミュシャ(チェコ語ではムハ)が生まれたと言う「イヴァンテッツェ」と言う村を通り、午後1時過ぎにはモラフスキー・クルムロフに到着した。
モラフスキー・クルムロフ城の美術館
とても「城」とは思えないような普通の建物の中がミュシャの作品を展示している美術館になっていた。
そしてこの美術館には、ミュシャが描いた大作「スラブ叙事詩」が保管・展示されていた。
(内部の写真撮影は不可だったので、画像はありません・・・m(__)m )
内部は専任のガイドが説明することになっていたが、展示室には土足では入ることができず、使い古しのジャンボサイズのサンダルのような履物を靴の上から履くように言われた。
それを足に履くとどうにも歩き難いが作品を保護するため?だろうからしょがない、、、皆さん、足を引き摺るように1階の入口から室内に入った。
すると、そこには何と!
目の前に、いきなり巨大なキャンバスに描かれた作品が何枚か展示されていた。
それが、ミュシャが描いた「スラブ叙事詩」の一部だった。
スラブ叙事詩の概要
スラブ叙事詩は、ミュシャがボヘミアの人々に彼らが誰で彼らがどこから来たのかを示したいと考えて製作をしたもので、その構想は19世紀末の頃だったと言う。
そして、裕福なアメリカ人のチャールズ・クレインと言うスポンサーを見つけ、そのクレインがスラブ叙事詩と言う連作を製作するための全ての費用を出してくれると言うことで、16年をかけて20枚の大作を描くことが出来たと言う。
そして、それが完成した時、ミュシャは70歳になっていたと言うことだ。
その全連作は1928年に完結しチェコスロバキアの首都プラハに寄贈されたが、ナチスの時代その作品は公開されず倉庫に眠りっ放しだったと言う。 その後、共産党の時代になっても暫くは公開させず、1954年になってから漸くここモラフスキー・クルムロフで公開・展示されたと言うことだった。
そこに展示されていた作品は、年代順に並んでいる訳ではなかった。
叙事詩の多くは、最初に主題の提示があって物語が始まり、次いでその発端やエピソードが語られ、最後に未来を予言して終わる形式が取られるが、ミュシャのスラブ叙事詩もその形式になったものだと言う。
その作品は、1~6までが連作の主要なテーマとなっていて、7~18までがエピソードが語られ、19、20が近代のスラブ民族の状況が示されると言う形になっている。
そこに並んでいた作品は、最大のもので、6.1×8.1mで、その大きさにまずは圧倒されてしまった。
そして、それらの作品が、目と鼻の先に展示されていたのだ。
手を差し出せば作品に触れてしまう。 こんな状態で展示をしていいんだろうか?、、、そんなことを思ってしまった。
専任の女性ガイドさんが英語で案内してくれると、添乗員のHさんがそれを翻訳して説明してくれたが、内容がスラブ人が国家を建設する前から始まりスラブ民族の未来へと言うことで、予習不足だったためにその民族の背景について今一理解できなかったのが我ながら残念だった。
しかし、そこに並んでいた作品には、目を奪われてしまった。
ちょっとトラブル
連作の作品の半分くらいは2階に展示されていて、途中から2階へと移ったが、途中でちょっとトラブルがあった。
と言うのは、作品の保護のため?と思われた、歩きにくい上履きを引き摺って見学していた我らだったのに、後から入って来た数人の客、彼らは雰囲気的にはチェコ人だったかもしれないが、彼らは足に上履きを履かずに自分の靴のまま部屋の中に入って来たのだ。
彼らを案内していた専任のガイドさんは、そのことを承知していたようだったので、それを見たHさんが我らの専任ガイドさんに英語で猛烈にそのことを抗議していた。
専任ガイドさんは何か反論していたようだが、それでも暫くHさんが文句を言っていると、土足で室内に入っていたそのグループの連中が戻って来て、例の上履きを靴の上から履いて再び室内に入って行った。
Hさんは、「一応、言うことは言わないとね・・・」と言っていたが、しっかりとした人だ。
2階へ上がって残りの作品を見たが、連作の中で1枚だけは現物がなかった。 それは、他所へ貸し出し中とのことだった。
1時間20分ほど館内で作品を見学した後は、今度はプラハの方へ向かって出発した。
(皆様、是非ともチェコのモラフスキー・クルムロフを訪れて、自身の目で見てくださいませ、、、m(__)m )