早朝の電車を乗り継いで、宇都宮駅を東北本線の黒磯行きが出発したのは、8時21分だった。
それほど混んでいないその車内には、中高年の男性グループの姿が目立っていた。
すぐ近くのボックス席には、50代半ばくらいと思しき男性が4人座っていて、楽しそうに会話をしていた。
耳に入って来たその話からすると、彼らはこれからゴルフをしに行くようだった。
また、少し離れた座席には、既にリタイヤしたであろうと思わるくらいの男性達が数人、これまた楽しそうに話をしていた。
彼らもゴルフだろうか・・・。
そんなことを思っていると、電車が宇都宮駅から3つ目の氏家駅に到着するとそれらの男性達はほとんど皆降りて行った。
この辺りにゴルフ場があるんだろう・・・。
世の中景気が悪いとは言っても、こうやって平日からゴルフ三昧の人達がいるんだなぁ~、なんて、自分のことは置いておいて、そんなことを思ってしまった。^_^;
その後電車が黒磯駅に着くとそこから更に郡山行きの電車に乗り換えるが、そこで約30分の待ち時間。
以前旧東海道を歩いた時には、静岡県の中の駅がその日の出発地点になる場合はJR東海道線の下り電車を利用したが、大体、「熱海駅」や「沼津駅」、「静岡駅」などで乗り継ぐことが多かったが、そのほとんどが乗り継ぎ時間が数分以内で、待ち時間があまりなく、これは逆に言えば効率がよく移動出来たものだった。
しかし、東北本線の場合、これまでの少ない経験からすると、乗り継ぎが今一よろしくない。
まぁ、これも致し方ないことなんだろうが・・・。
そんなことで、黒磯駅を出発した郡山行きは、目的地の鏡石駅に10時23分に到着したが、この鏡石駅は無人駅で、下車した後は改札口に向う階段の前で、車掌さんが乗車券のチェックをしていた。
そう言えば、途中の駅でも無人駅はあったようで、そんなところも東海道線との違いなんだろう。
東海道線では途中下車した駅で無人駅はなかったように思う。
・・・
さて、この日の陸羽街道歩き。
鏡石駅を出発すると、2kmほどの直線を歩いて一度国道4号線と合流するが、そのすぐ先で国道118号線と交差する手前で旧道は右手に分かれた。
そのすぐ先に、珍しく一里塚が残っていた。
東京の日本橋を出発して宇都宮で日光道中と分かれた奥州道だが、白河宿の女石から先の陸羽街道になってからも一里塚はほとんど残ってなかったように思う。
東海道や中山道では場所によってはしっかりと「塚」として残っているところが何箇所かあったが、この奥州道から陸羽街道では珍しかった。
その須賀川一里塚と名付けられた一里塚のところに書かれてあった説明によれば、日本橋から数えて59番目の一里塚だと言う。
そして当時はこの塚の上には榎が植えられていたとのことだ。
現在の塚の上に植えてある木を見ると最近植えられたのは明らかだったが、旧街道を歩いていてこうやって何とか残っている一里塚を見つけると、新しいものであっても何と言うか、ほっとするものだ。
この一里塚のすぐ先の道は国道118号線と交差しているが、その近くには横断歩道がなくどうやって渡ろうかと思ったが、幸いにも片側2車線のその国道のその時の交通量はかなり少なかったので、本来は交通違反でやってはいけないことだが、、、
車の来ない時を見計らって、一気に横断してしまった、、、^_^;
旧道は更にそこから100mほど続いていたが、その先で今度は東北本線によって道が断たれていた。
以前はそこに踏切があったようだが、現在はその踏切もなくなっていたため、やむなく100mほどの道を戻って、線路を越えた先のところまで迂回することにした。
2004年に甲州道中を歩いた時にも同じように線路で分断された場所があって、その時は無謀にも、踏切のないその場所を渡ってしまったことがあったが(良い子の皆さんは、絶対にマネをしないように・・・)、今回はご丁寧にも「線路横断はしないでください」との注意表示も書かれてあったし、しっかりと柵も出来ていたので、やむなく迂回することにした。^_^;
東北本線の反対側に迂回した後はその先の道を歩いて行ったが、500mほどで広い道路と合流した。
その辺りは「並木町」と言うところで、その先が旧「須賀川宿」となっていた。
ところで、並木町に入るとすぐのところで、一軒の店の前に「須賀川絵のぼり」と大きく書かれた看板が建っていた。
(須賀川絵のぼり?)
と思いつつ、その時はそれが何だかわからなかったが(「ぶらり途中下車の旅」のように、突然その店のドアを開けて尋ねるようなことはできなかった・・・)ので、帰宅後ネットで検索すると、鯉のぼりのように端午の節句の時に飾る須賀川地方独特の幟と言うことだった。
そして、たまたま前を通りかかったその店が、現在ではただ一軒、絵のぼりを製作している「
吉野屋」と言う店だったようだ。
知らぬこととは言え、素通りしてしまったのが悔やまれる・・・とほほ。
そんな店の前を通り過ぎてすぐ先には、これまた店?のような建物のところに「タマスズ醤油あります」と書かれた紙が張ってあるのが目に入って来た。
(タマスズ? わざわざこうやって「ある」ことを書いているってことは、何か特別の醤油なのかな?)と思って、これまた帰宅後調べると、これもまたそれなりに
福島定番の醤油のようだった。
そんなことに気をとらわれるのもまた街道歩きの楽しさだ(^.^)。
さて、、、
先を急ぐと、その先辺りからどうやら町らしくなって来た。
緩やかな坂を上って行くと、住所表示は「南町」となっていて、その先の大きな交差点で左側には「須賀川南局」と言う郵便局があり、その向かいに建っていた「東北電力須賀川支店」の前には「黒門」と呼ばれる「木戸」が建っていた跡があった。
木戸とは宿場の出入り口に設けられていた戸で、毎朝七つ時(午前4時頃)に開けられ、四つ時(午後10時頃)には閉められていたと言うことだ。
と言うことで、そこから先が当時の「須賀川宿」になっていたと言うことだ。
・・・
以下、続く。