この日は終日ガダメスに滞在し、「ガダメスの旧市街」を見学した。 そして夕方、サハラの夕陽を観賞した。
・・・
食後の散策へ
7時半のモーニングコールで起きると、その後レストランで軽い食事を摂った。
ツアーの皆さんも三々五々と言った感じで集まって来て食事をして行った。
朝食後、ホテルの出発まではまだ1時間ほど時間があったので、いつものようにホテルの周辺を散策することにした。
ホテルには地図は置いてなかったが、「地球の歩き方」にはガダメスの旧市街と新市街、それに宿泊したホテルも地図に載っていたので、それを頼りに新市街を散策することにした。
昨夕ホテルに着いた時に、ちょうど太陽が落ちようとしていたところにミナレットが見えていた。
そのミナレットは、珍しく2本建っていたので、それがひとつのランドマークになると思い、その方向が「西」と言うことで地図を見る上での目安にした。
その2本のミナレットが建っているモスクは、地球の歩き方に載っている地図でははっきりと名前が載ってない上、地図のぎりぎり端に「ニューモスク」とだけ書かれていた。
他にはモスクらしい名称が載ってなかったので、それが2本のミナレットを持つモスクに違いないと思った。
そして、そのモスクと宿泊したホテルの位置関係を確認してから、ホテルを出発して新市街へと向かった。
地図を見る限りでは、ホテルから見て新市街は北の方角にあった。
それでホテル前を出発すると、その先の交差点を北に向かうように曲がって歩き始めたが、ホテルから新市街までは400~500mくらいだったので、自分の足では7~8分、ゆっくり歩いたとしても10分もあればそれなりの風景が見えて来ると思った。
そして、新市街から旧市街の辺りを20~30分は余裕で散策出来ると思っていた。
新市街に着くはずが、着かないぞ・・・
ホテルを出た辺りには、砂色と言うかレンガ色と言った感じの新しい建物がいくつも建っていた。
それらの建物は、角のところが上に向かって尖っている装飾が施され、ドアの形はヤシをイメージしているのか、木の形をしているように見えた。
もしかすると、その建物の形は伝統的なガダメスの建物の特徴なのかも?と思った。 と言うことは、旧市街から新しい建物を建てて移って来たのかもしれないので、その辺りはもう新市街の一角を歩いているんだろう、と思って歩いていた。
しかし、20分ほど歩いても、町の中心部に向かっている様子ではなく、むしろ建物の数が疎らになって来ていた。
(おかしいなぁ~)
とは思いつつも歩いていると、地図に描かれている道路の曲がり方と歩いている道の曲がり方とか交差点の感じが違っていることに気が付いた。
どうもおかしい・・・。
それに、北へ向かって歩いているなら朝ホテルの前で見えていたミナレットが、右手に見えているのはどうしてもおかしい。
ミナレットは左手に見えなくてはいけないはずだ。
(これは、道を間違えたかな?)
と思った頃、目の前にはヤシの木が何本も生えている光景が見え、その前には幅が広い通りが走っていた。
ベルベル人が集まっている・・・
そしてその辺りには、人の姿が何人も見えていた。
ホテルを出発した時はまだ日の出早々の時間だったので、ほとんど人の姿を見なかったが、その頃になると結構明るくなっていた。
その先の交差点のところには、更に多くの人が何人も立っていた。
その様子は、ここには3~4人、その近くには2~3人、また少し離れたところには数人、と言う形で、何かを待っているかのようにも見えた。
そして、そこにいた人達は、皆一様にかなり肌の色が黒かった。 今までチュニジア、リビアと移動して着たが、これほど肌の色が黒い人を見たことはなかった。
砂漠が近い内陸部のため、ベルベル人とは言っても地中海沿岸に住んでいるベルベル人とは肌の色が違うらしいことは聞いていたが、これほどとは思わなかった。
そんな人達が立っている近くを一人、通って行くのは少々緊張した。
どうも、ジロジロ見られているような気もする。
(ここは、どの辺りなんだろう?)
人の姿がたくさんあるし、道路は広いので新市街ではないとしても近いはずだ、とは思った。
が、先ほどよりも更に2本のミナレットは近く、右手に見えていた。
それで時計を見て時間を確認すると、その時何と、8時半になっていた。
ホテルに戻ることにした
ホテルから30分も歩いて来ていた訳だ。
と言うことは、ホテルでの集合時間は8時55分だったので、今から25分でホテルまで戻らなくてはならないことになる。
そう思ったら、あれこれ考えずにそこからUターンして急いでホテルに戻ることにした。
帰りは来た時の道をそのまま逆に歩いて行けばいい。
なので、急ぎ足で歩いていると、8時45分の頃だったろうか、、、
向こうから3人、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。
段々と近づくと、その3人は同じツアーのKDさん達だと分かった。
(出発間際だと言うのに、これから散策に出かけるのかな?)と思ってすれ違い様に声を掛けると、「ちょっとそこまで・・・」と言うことだった。
そこからなら10分も掛からずホテルに着くだろう。
そう思って歩いていると、10分経ったにも関わらず、ホテルの前には出なかった。
それよりも、2本のミナレットがかなり近くに見えていた。
(こりゃおかしい! また間違ったか!?)
また間違ったかも・・・?
その時、ホテルのロビーでの集合する時間の8時55分になろうとしていた。
(まずい・・・。 集合時間どころじゃない、、、出発時間に間に合わないかも・・・?)
この時、初めて心の中で焦っていた。
それで、またまたそれまで歩いていた道を戻ることにして、今度は小走りになっていた。
建物に沿って歩道を小走りに、小さな交差点を2つ過ぎると、見たことのある建物が見えて来た。
それはホテルの隣りのアパートのような建物で、ベランダに干してあった洗濯物に見覚えがあった。
(あ! ここだ!)
その小さな交差点を入って行けばホテルだった。
そこは、先ほどKDさん達3人が曲がって出て来た交差点だった。
彼女達が歩いて来た、と言うことに気を取られて、そこの交差点を入って行けばすぐにホテル、と言うことを見逃してしまったようだった。
これは大失敗だった、、、(*_*)
ぎりぎり間に合った
角を曲がると、ホテルの前にはバスが待機していて、その前には皆さんの姿が見えていた。
そして、小走りでホテルの前に着くと、時刻はちょうど9時だった。
いやはや・・・。
とんだ朝の散策になってしまった。
それで、添乗員のYさんにはお詫びを言った上で、一度部屋まで戻って荷物を取って来ますと断って、部屋に戻って速攻でバスまで戻って来た。
身体は朝から汗だくだくだった・・・^_^;
・・・
「地球の歩き方」の地図が・・・
バスが出発すると、バスはその直前に自分が行き過ぎた道を徐行するように走って行った。
(あ、こっちに行くの? これから新市街に向かうはずってことは・・・)
その後角を曲がると、広い道路の正面には、例の2本のミナレットを持つモスクが建っていた。
そこはホテルからはすぐ傍だった、、、(えっ!?)と驚いてしまった。
と言うことは・・・?
後で冷静になって検証すると、「地球の歩き方」に載っていたホテルの位置が間違っていたのだ。
「地球の歩き方」には、道路に面して北側に載っていたが、どうみてもホテルが建っていたのは道路の南側だったのだ。
そうでないと、ミナレットの位置が合わない。
と言うことで、朝ホテルを出発した後、北に向かう予定が南の方へ歩いていたのだ。
その道が真っすぐではなく右側に緩やかに曲がっていたので、ミナレットが常に右手に見えていた、と言うことのようだった。
いやはや、、、「地球の歩き方」の地図は間違っていることがある、とは旅先で知り合った人の何人から聞いていたが、まさかねぇ~。
・・・
博物館の見学
と言うことで、バスはモスクの近くで停まり、その近くに建っていた「博物館」へと向かった。
そして、そこにはガダメスの旧市街を案内してくれる現地ガイドの「マハムード」さんが待っていて、早速博物館に入ってガダメスの民族文化に関する展示物を見学した。
その博物館は、1~5までのテーマ別に建物が建っていたが、16世紀のオスマン・トルコの時代に建てられていて、20世紀にはイタリア軍の要塞として使われたこともあったと言うことだった。
館内に入ると最初の建物の中には、まずはローマ時代から、オスマン・トルコの時代、イタリアの時代、フランスの時代と、ガダメスを統治した人の名前が書かれている紙の説明があった。
そして、その紙の一番下、最後のところには、「1951年独立」と書かれてあると言うことだった。
また、ベルベル人の靴や服などの衣装や、ヤシの葉で作られたカゴやバケツ、ヤシの木で造ったドアなどの日常的な生活必需品が展示されていた。
その隣の部屋は「トアレグ」の部屋になっていて、トアレグの文字が書かれてある碑文やテント、ラクダに使う鞍、移動に使うヤギの皮で出来たバッグなどが展示されていた。
その隣の部屋はローマ時代の部屋で、レリーフやラテン語で書かれてある石碑などが展示されていた。
また、その隣の部屋では、旧市街で使われていた日干しレンガが、それを作る工程・過程がわかるように展示されていた。
ベルベル伝統の靴工房
45分ほど博物館の展示物を見学した後は、外に出てすぐ傍に建っている「ベン・イッダ・ショップ」と言うベルベル伝統の刺繍を施した靴の工房に案内された。
それほど広くないその「工房」には、一人の職人が座っていて、我らがそこに入ると何かの作業をしていた。
そこに座っていた職人?は、何と!、、、「地球の歩き方」にも載っていた、その人だった。^_^;
店内にはベルベルの刺繍がある工芸品が展示してあり販売されていたので、皆さんはそこであれこれとショッピングをした。
また、近くには記念切手売っている店があり、そこでもまた皆さん、いろいろとデザインを選んで買っていた。
・・・
以下、続く・・・。