4日目のこの日は、3連泊したバクーのホテルを出発して、午前中には古都「シェマハ」に立ち寄り、午後には古くから絹の生産地として栄えた「シェキ」へと向かった。
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シェキへ向かって出発
この日の宿泊地「シェキ」まではバスで約250kmの移動となるため、朝は8時にホテルを出発した。
バクーを出てから一路西へ走って行くと、周囲の景色はすぐに草原が続くようになっていた。
森でも林でもなく、また南欧でよく見かけるオリーブの木が生えている訳でもなく、ただただ草原が続いていた。
時折そんな草原の中に、羊や牛が放牧されているのが見えた。
これがコーカサス、の一般的な景色なんだろうか。
今回初の青空トイレ
ホテルを出発してから1時間半ほど走ったところでバスは停車した。
すると、添乗員のIさんが「ここで『青空トイレ』にしましょう」と言った。
「青空トイレ」とは、知る人ぞ知る!!
(*_*)、、、トイレの施設のないところで用を足すことを、「青空の下で用を足す」と言う意味でそう言うようになったんだろう。
少し前の中国のドアのないトイレを「ニーハオトイレ」と言ったが、いずれにしても物は言いようだ。^_^;
一般的に観光で訪れた国をバスで移動していると、トイレはガソリンスタンドを利用したり、日本で言えばコンビニのような小さな店に立ち寄ってそこでちょっとした買い物をした上でトイレを借りたり、またはカフェに寄ってそこでコーヒーを飲んでトイレを借りたりするが、国によってはそのような施設がなかなかなくて、トイレを借りようにも借りることが出来ないことがある。
また、国によってはトイレを利用するのにチップが必要なこともある。
日本にいてはそのようなことはまずは考えられないが、世界各国のトイレ事情とはいろいろとあるようだ。
そんなことも体験出来るので海外の国を旅するのは面白いが、この「青空トイレ」を受け入れられない人はそのような国を旅するのは難しいかもしれない。
ここアゼルバイジャンでも、一昨日、昨日とバクー市内やバクー近郊を移動していた時は、そのような施設に立ち寄ってトイレで用を足すことが出来たが、首都であるバクーを一歩出るともうそう言った施設がなかった。
ホテルを出て1時間半走ると、その辺りには一軒の店もなく、ガソリンスタンドもなく、観光施設もなく、、、と言うことで、やむなく「青空トイレ」となった訳だ。
まぁホテルを出てからまだ1時間半しか経っていないので、まだトイレってことでもないとは思ったが、ツアー参加者の中には高齢者もいてトイレが近いと言う年齢的な事情もあるので、早目早目にトイレを用意するのが添乗員さんの大事な仕事のひとつになっているんだろう。
と言うことで、進行方向に向かって左手には草原が広がり、右手にはちょっとした茂みがあるところでバスは停車した。
真っすぐに走っている道路には、前からも後ろからもほとんど車は走って来なかった。
そんなところで、右手の茂みがあるところがバスの陰にもなると言うことで、女性の青空トイレの場所、、、左手の草原の方が男性の青空トイレの場所となった。
ところで、、、
この日の午前中の予定としては、移動中、トイレもなかなかないようなところを走って行くため、食事を摂るレストランも思うようにないと言うことだった。
そのため、少し早いが、「シェマハ」に入ったところで昼食を摂ると言うことになっていた。
その時間は、10時半と言うことだった。
そこで食事を摂らないと、その後はなかなか食事を摂れないと言う事情だったらしい。
と言うことは、、、
青空トイレと言ってバスが止まったのが9時半の頃だったので、あと1時間もすれば、「青空」ではない本当のトイレに入れるので、そこでわざわざ「青空」にすることもないとも思った。
トイレがない、と言う事情は我々以外のツアー客、、、例えばヨーロッパからのツアー客でも同じだから、彼らは青空ではなくて10時半のレストランまで我慢出来るのかもしれない。
まぁ、彼らとはタンクの容量が違うと言うことなんだろう、、、^_^;
と言うことで、皆さん要領を得たもののようで、サクサクと青空トイレで用を済ませると、バスは出発した。
そしてそれから30分ほど走ったところで、最初の目的地である「シェマハ」の町に入った。
シェマハ
シェマハは、15世紀以前、首都がバクーに遷都されるまで約900年間シルヴァン王国の首都だった町と言うことだ。 地震が多くバクーに遷都された理由も地震で町が大きな被害に遭ったと言うことなので、現在は古い建物はほとんど残っていないと言う。
そして、町自体は2,500年の歴史があり最盛期の12世紀には、トルコのイスタンブールのような町並みだったと言うことだ。
金曜日のモスク
シェマハに入ると、まずは「金曜日のモスク」へと向かった。
「金曜日のモスク」はイスラム教の国では、主要な町には大体一カ所あるもので、そのモスクが見所のひとつになっていると言うことは、やはりこの国もイスラム教の国だったんだ、と改めて思った。
そう言えば、一昨日、昨日とバクー市内や近郊の町を訪れた時には、ほとんどモスクを見なかった。
また、町中を歩いている女性の姿を見ても、全くと言っていいほど、ここがイスラム教の国だとは感じられなかった。
あのトルコでさえもう少しイスラムを感じたものだが、それくらいイスラムを感じないイスラム教の国だと思った。
それが、シェマハに入るといきなりの「金曜日のモスク」だ。
やはり、イスラムの国だった、と言うことだ・・・。
ところが、、、
その金曜日のモスクに向かう途中で、添乗員のIさんが、「金曜日のモスクは現在改修中で、見学出来なくなってます」と言うことを言った。
それを聞いて、(それって、おかしくない?)と、正直思ってしまった。
と言うのは、昨日、今日、改修工事が始まった訳じゃないだろう。
我々のツアーが出発する直前には、全く同じコースを周るツアーが帰国しているし、そのことがわかっていて、日程表に「金曜日のモスクを訪ねます」と記載するのはどう言うことなんだろう、と言うことだ。
確かに、「訪ねる」と言う意味では、その通り、「訪ねて」いる訳で日程表に記載されていることに偽りはないが、そりゃないんじゃないだろうか。
それでも、一応は雰囲気だけでも味わっておこうと言うことでは、バスを降りてそのモスクの前に行った。
すると、我々の姿を見つけて中から責任者のような男性が近付いて来て何やら言っていた。
アシアさんが言うには、「写真を撮ってはダメ」と言うことだった。
見学も出来ない、写真も撮ってはダメ、、、と言うことで、我々はどうすることも出来ずに「しょうがないですね・・・」と言うことで、バスに戻った。
このモスクは1915年にアルメニア人によって破壊されたと言うことだが、周囲の壁の間から改修中のモスクを見ると、なかなか大きな規模のモスクだった。
アルメニア人によって破壊された後にも再度アルメニア人にがやって来て、4,400人もの人をこのモスクに閉じ込めてモスク毎焼き払ってしまうと言う事件も起こったと言う。
そして、ソ連時代には宗教が否定されていたため、このモスクはブルトーザーの車庫として使われていて、最近漸く改修工事が始まったと言う。
1年6か月後には改修も終わって完成すると言うことなので、その頃来れば、このモスクも見学出来るようになっているんだろう。^_^;
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以下、続く・・・。