午後3時25分の頃、バスはムツヘタの町に入った。
ムツヘタの町
ムツヘタは334年にグルジアがキリスト教を国教とした後、最初に教会が建てられた町で、その後5世紀にゴルガザリ王がトビリシへ遷都するまでの間、イベリア王国の首都だった町だ。
町には古い教会などがいくつも建っていて全般的に「古都」と言う印象だった。
町全体を世界遺産に登録しようとしているが、現在は「歴史的建造物群」と言うことで、2つの教会だけが世界遺産となっていると言うことだった。
我々のバスは、まずはその世界遺産となっている教会のひとつの「ジュワリ教会」へと向かった。
ジュワリ教会は丘の上に建っていて、バスから降りると、目の下にはアラグヴィ川とクヴァリ川が流れていてそのふたつの川が合流している様子が見渡せた。
そのアラグヴィ川とクヴァリ川の合流地点にムツヘタの町は広がっていた。
ジュワリ教会
ここには1世紀の頃、異教徒の教会が建っていたが、その後4世紀の時に、聖ニノがやって来てここに十字架を建て、小さな教会が建った。
それが「ジュワリ教会」の始まりだと言うことだ。
ちなみに、「ジュワリ」とは「十字架」の意味だと言うことだ。
教会の建物はグルジア正教の建築様式で、正十字架の形にドームがあり、中央には大きな木の十字架が建っていた。 そして、その前には聖ニノの十字架も建っていた。
真上からこの教会を見ると、天井は八角形をしていて十字の形に半円形のドームが出て、そのドームとドームの間の角に小さなアーチが出ていると言う形をしていた。
この形はグルジア正教の教会の特徴で、この形からビザンチン様式に発展して行ったと言うことだった。
建物の石積みには接着剤は一切使われてなくて、それが世界遺産に登録された理由のひとつにもなっていると言うことだ。
「聖ニノ」とは
ところで、その「聖ニノ」とは、、、?
ウィキペディアによれば、「伝承に基づく記述では、カッパドキア人女性で4世紀初頭にイベリア(現在のグルジア)において、グルジアの亜使徒光照者聖ニノがこの独特な形状をしたグルジアの十字架を用い、キリスト教の伝道を行っていたとされている。 伝説によると、この十字架は聖ニノがこのブドウの木で作られた十字架をイエスの母マリアから受けとった、或いは彼女自身がムツヘタへ向かう途中で鍛造し、それを彼女の髪と絡めて保管していたといわれている。」と言うことだ。
これまで訪れたグルジアの教会では、このグルジア独特の十字架をしばしば見て来た。
何が独特か、と言えば、十字架の短い方の横の棒が、真っすぐではないのだ。
即ち、横の短い棒が、中央から両横に向かって少し下がっている形をしていて、その横棒と縦棒はニノの髪の毛で結ばれていた。
と言うことで、グルジアにおいてはこの「聖ニノの十字架」は、グルジア正教にとって欠かすことの出来ない存在のようだった。
ちなみに、昨日「軍用道路」を通って行った先の「十字架峠」に建っていた十字架も、この聖ニノの十字架の形をしていた。
またこの聖ニノの十字架は、17世紀から18世紀にかけて、グルジアがペルシャ人やオスマン人からの侵攻を受けた際に、より安全な場所へ隠すと言うことで何カ所かを転々としたが、グルジア2日目に訪れた「アナヌリ教会」に隠されていたこともあったと言うことだ。
さて、これほどの教会だったが、残念ながら、内部の写真撮影は不可だった、、、とほほ。
20分ほどジュワリ教会を見学してから外に出ると、外では大雨が降っていた。
いやぁ~、参った、、、。^_^;
がすぐに止んだので事なきを得た。
そしてその後は、今度は先ほど見えていた2本の川の合流地点近くに建っている「スヴェティ・ツホヴェリ教会」へと向かった。
スヴェティ・ツホヴェリ教会
スヴェティ・ツホヴェリとは、「生命を与える柱」と言う意味で、それはこの教会が建てられた経緯に関係していた。
それは、、、
「グルジアに住んでいたシドノアと言う女性がエルサレムに行った際に、ゴルゴダの丘を登ったイエスが身につけていた衣服を持ち帰った。
その衣服を持ったまま彼女は死んでしまい、その彼女が埋葬されたその上に、木が生えて来た。
4世紀、ミリアム王がその木から7本の柱を切り出し、教会を建てた。
その際、6本の柱は建てられたが、7本目の柱が宙に浮いて建てられなかった。
そこで、聖ニノが現れ、その1本の柱を埋めて教会を建てたと言う伝説が残っている。
その後11世紀に、石造として再建され現在の形として大きくなった。」
と言うことだった。
土産物が売っていた
さて、スヴェティ・ツホヴェリ教会前の駐車場にバスが止まると、そこから教会までの道沿いには、土産物店が何軒か並んでいた。
今日でグルジア国内を周るのは3日目だったが、これほどの規模?と言うには小さ過ぎる感じもするが、今までほとんど土産物店らしきものはなかったので、改めて観光地に来ているんだなぁ~と言う気持ちが蘇って来た。^_^;
それくらい、グルジア国内の観光地には、土産物店は少なかった。
思うに、、、
まだ、観光が産業としてほとんど育っていないと言うことなんだろう。
ソ連が解体して共産圏から解放されたとは言ってもまだそれほど日が経ってないこともあるんだろう。
まぁ、どこかの国のように、バスを降りると土産物売りが集まって来ると言うのもちょっと困りものだし、どこへ行っても「どこかの国で売っていた」とか言う物が売られているのでは土産物として意味がないので、これから良い形で発展して行って欲しいものだとは思うが、、、。
大聖堂
この教会の大聖堂は、337年にキリスト教が国教になった記念に、昔はゾロアスター教の寺院が建っていたところに建てられたと言う。
両側の壁は、それぞれが左右で非対称の造りになっているのが特徴で、アーチの形や数、窓があるなしなどが左右で違っていた。
内部は三廊式になっていて、一番奥の祭壇の向こうにはイエスの絵が掛かっていた。
また、外側の壁にはグルジアで一番有名だと言われるフレスコ画(7本目の柱が浮いている場面を描いたイコン)があり、反対側には聖ニノの絵が掛かっていた。
その他、「ニリアム王の洗礼盤」、「エルサレムの聖墳墓教会のミニチュア」、「シドニアが眠っている上に建つ柱」、「ゴルガザリ王などの墓」などがあった。
内部の見学が終わって外に出ると、先ほどまで降っていた雨が止んでいた。
そして改めて周囲を見渡すと、そこには18世紀に建てられた城壁が巡らされ、所々には修道士が生活している部屋があった。
そして、その城壁の向こうの丘の上には、先ほど見学したジュワリ教会が見えていた。
先ほどまで結構勢いよく降っていた雨だが、上がると空にはあっと言う間に青空が見えていた。
トビリシに戻る
午後5時過ぎにスヴェティ・ツホヴェリ教会の見学を終えると、一路、トビリシのホテルへと戻った。
ホテルまでは高速道路を走って約45分で着いた。
そして、ホテルでひと休みした後の午後7時に、夕食を摂るために改めてバスに乗って、市内のレストランへと向かった。
夕食
市庁舎のすぐ近くにあった「Taghlaura」と言うレストランに入ると、既に地元の客などが入っていてかなり盛り上がっていた。
ここでは、残っていたグルジアの1ラリコイン×3枚を、ワインを飲むために全部使ってしまった。
地元のコインは、残ったとしても金額的に少ないし、記念にもなるので使い切れなくてもいいかな?と常々思っているが、結局幸か不幸か使い切ってしまった。
今回は、グルジアではワインの他には形に残るものをほとんど買ってなかったので、そのコインの使い切りが今にして思えば残念だった、、、^_^;
そして、食事が終わってアルコール類の代金の清算を終えてさて、帰りましょうと言う段になって、中央の少し広いスペースのところで何やら動きがあった。
それは、奥からダンサーが出て来て、民族ダンスのショーが始まったのだ。
これは予想してなかったので、驚いた。
見た感じ、動きの激しいコサック系の踊り、、、と言ってもそのコサック系の踊りをまじまじと見たことはなかったが、テレビで見た感じではそんな踊りに似ているような気がした。
それで、せっかくなのでそのショーが一通り終わるまで見てから帰ることになった。
会場は地元の客を中心に大盛り上がりだった。^_^;
・・・
以下、続く・・・。