エレブニ要塞跡に向かう
ホルヴィラップ修道院の見学を終えると、バスに乗って首都エレバンに戻るようにして次の目的地「エレブニ要塞跡」に向かった。
バスに乗って走って行く途中で車窓からアララット山が見えたが、先ほどあれだけ良く見えていたのに、もう、山全体に雲が掛かっていた。
いやぁ~~、
絶好のタイミングでアララット山を見ることが出来たようで、皆さんも喜んでいた。
誰もいないエレブニ要塞跡に到着
そうこうしながらバスで45分ほど走ると、エレバン近郊の「エレブニ要塞跡」に到着した。
バスが駐車場に止まると、先ほどのホルヴィラップ修道院の駐車場とは違い、そこには一台のバスも止まってなかった。
結局、その後要塞跡を見学して再びこの駐車場に降りて来るまで、他のツアー客とは一度も遭遇することがなかった。
どうやら、ここは、それほど観光客が来るような観光地ではなさそうだった。^_^;
駐車場から緩やかな登り坂を数分歩いて行くと、その丘の上に到着した。
そこが「エレブニ要塞跡」になっていた。
エレブニ要塞跡について
*
エレブニ要塞跡については、概略として、
◆ここがエレバン発祥の地で、「エレブニ」が「エレバン」となった。
◆紀元前782年、ウラルトゥ王国のアルギシュティが建てた要塞で、丘の上に王家が住み、麓に家臣達が住んでいた。
*ウラルトゥ王国・・・紀元前9世紀ごろから紀元前585年までアナトリアに存在した王国。 その版図は、現在のトルコ東部のヴァン湖周辺を中心に、メソポタミア北部からコーカサス南部にわたった。(「ウィキメディア」より抜粋)
◆要塞は、「王の宮殿」、「神の神殿」、「食糧庫」の3つの部分に分かれていた。
と言う説明だった。
保存状態がよくない遺跡
ここは、遺跡全体の保存状態がかなり悪く、入口辺りにあったと言う「神の神殿」は、ほとんど原形を留めていなかった。
また、「王の宮殿」は一部壁が残っていて、そこには絵が描かれていた。 それを守るかのように簡単な屋根だけは設置されていたようだが、その壁には無数の傷やいたずら書きがあった。
(こんな状態でいいのか?)と言うのが、正直な気持ちだった。
そして、「食糧庫」からは麦や野菜の種が発見されたり、土器が出土していると言うことだった。
この要塞に入るところや遺跡の中にある石垣の一部には、当時使われていた楔形文字が刻まれた石が残されていたが、それも雨ざらしだった。
む~~、こう言う保存状態でいいのかなぁ~~?
ちょっと考えてしまった。
まぁ、滅んでしまった王国の要塞跡と言うことで、、、「国破れて山河在り. 城春にして草木深し、、、」と言ったところなんだろうか。
日本にも戦国時代に戦に敗れて滅んでしまった豪族の城(または砦)跡などが、各地に残っているが、「ここが城(砦)跡なの?」と思えるような状態のところも多い。
今はただの山になっていたり、よく見れば「土塁」や「空堀」が、単なる山の中の土が盛られているところに過ぎない状態になっているところもあるから、それと同じようなものなのかもしれない。
エレバン市内がよく見えた
簡単な見学を終えるとその後若干のフリータイムとなった。
それで、要塞跡の裏手に回ってみるとそこからエレバン市内がよく見えた。
それは、アゼルバイジャンやグルジアの都市では見なかったような、建物が密集した都市だった。
エレバン市内へ戻る
エレブニ要塞跡の見学を終えると、その後はバスでエレバン市内へと向かった。
途中で「エレバン中央駅」の前を通ったが、そこから列車に乗るとグルジアまで行けるようになっていると言うことだった。
ちなみに、、、
昔はモスクワまで行っていたが、今は行っていないらしい、、、。
No1レストランで昼食
そしてその後、「Yerevan Pandock」と言うエレバンNo1に選ばれたレストランに入った。
店内に入ると、地下に用意された部屋は、なかなか落ち着いたいい雰囲気だった。
席に着くと、まずはいつものように別料金のドリンクを注文したが、ここでは、ビールが2ドル、グラスワインが3ドルだった。
が、現地通貨のドラムをまだ全く使ってなかったのでぼちぼち使ってみようと思って、ドラムならいくらになるか聞いてみた。
すると、ビールは800ドラム、グラスワインは1,200ドラムと言う返事だった。
為替レートの目安としては、「1ドル=約390ドラム」だったので、まぁ、ドラムで支払った方がほんの少しは安い、と言うことになるが、結局ドラムで支払うことにした。^_^;
そして、赤ワインを飲みながら野菜中心の前菜を食べた後は、「ソリャンカ」と言うサワークリーム入りのスープが出て来た。
これは、後で調べたところ、ウクライナ料理で、東欧を中心に食べられているスープと言うことだった。(その時は、アルメニアの名物だと思って食べていた。)
その後出て来たメイン料理は「牛ひき肉とポテトのケバブ」だった。
No1の店でこうやってケバブが出てくると言うことを考えると、国際関係上は犬猿の仲とは言え、やはり地理的にも歴史的にも、トルコの影響は多かれ少なかれあると言うことなんだろう。
・・・
以下、続く・・・。