陸羽街道の岩沼宿に入った後は、竹駒神社にも立ち寄らずJR岩沼駅に向かった。
JR岩沼駅は、東北本線と常磐線が合流している駅だ。
そして、そこからJR常磐線の上り電車に乗って、「亘理駅」へと向かった。
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今回大河原駅から陸羽街道を歩くに当たって下調べで地図をチェックしていたところ、例の船岡城址、、、あの観音像が山頂に建っていたそばの城址公園だが、その山の東側が亘理町となっていた。
その亘理町には、5歳前後の時に一度だけ行ったことがあった。
「亘理(わたり)」と言う言葉は、子供の頃から何度も父から聞かされていた。
と言うのは、父方の祖父の出身がその亘理町だったのだ。
が、その祖父は46歳の時に病気で亡くなっているので、実際に会ったことはない。
写真は一度だけ、伯父の家で見せてもらったことがあった。
その顔は父に似ていたが、今思い返すと、自分の顔にもすごく似ていたようだった。
その祖父の仕事の関係で東京生まれ・東京育ちの父と父の兄弟は、祖父が亡くなった後、亘理の親戚の家に預けられてそこで育った。
しかし、いろいろあって今はその亘理の家とは疎遠になっていて、法事があった時に一度だけ父の兄弟とその家族が亘理の家に行ったことがあった。
その時の記憶はほとんどないが、上野駅から常磐線の夜行列車で行ったことだけはかすかに記憶にあった。
と言うことで、言わば、「ルーツ」を辿る、、、と言うことで、亘理の町を訪れてみようと思った。
(祖父の墓は元はその亘理にあったが、長男だった伯父が30年くらい前に東京に移していた。)
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岩沼駅から亘理駅まではわずか9分ほどだった。
そしてそれから、亘理の町を1時間半ほど散策した。
そんな中で、町中にある時宗の「専念寺」と言う寺に入ってみた。
そこは、父が暮らしていた親戚の家のすぐ近くの寺で、父もその寺の名前は覚えていた。
そして境内の奥の墓地に入ってみると、広い墓地の中には、我が一族を示す「◎◎家の墓」と刻まれた墓石が何基か建っていた。
やはり、この辺りには多いのかも、、、と改めて思った。
が、それらの墓に入っている人達が、近くの親戚の人なのかどうかはわからなかった。
が、そう遠くはない親戚の人なんだろう・・・。
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亘理の町の西側には「亘理神社」が建っていた。
そこは、戦国時代には「亘理要害」、別名「臥牛城」が建っていたところとのことだった。
そこに建っていた説明板によると、
「この地に居を構えた亘理氏が天正19年(1591年)涌谷に移った後、片倉小十郎景網がここに入った。
慶長7年(1602年)片倉氏は白石城に移り、居所を引き継いだ伊達成実は亘理要害の改修を行い又城下町を建設し、亘理郡と相馬郡の一部を治めた。」と書かれてあった。
その伊達成実とは、NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」で伊達政宗の片腕のような形で描かれていた武将で、三浦友和が演じていた。
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亘理の町の散策を終えると時刻は午後0時を回っていた。
それで腹も減って来ていたこともあって、どこかで昼食を摂ろうと思ったが、どうも、食事が出来そうな店が見当たらなかった。
そう言えば、町中であまり人の姿が見えなかった。
それで、(このまま、今日もまた昼食難民になってしまうのかなぁ~)と思っていたところに、「海鮮丼」とか「はらこめし」と書かれた幟が目に入って来た。
「はらこめし」とは、ここ亘理を始めとして仙台辺りでも、名物料理として売り出している料理で、鮭とイクラが載っている丼飯のようなものだった。
それで、できればその「はらこめし」を食べて見たいと思っていたところに見つけた幟だったが、よく見ると、その店には「松本鮮魚店」と言う名前が出ていた。
(魚屋さん?)
魚屋が昼だけランチをやっているのか、または元々魚屋だった店が現在は料理やをやっているのか、、、
いずれにしても、魚屋なんだから魚介系の料理は美味しいだろうと決めて、早速その店に入ることにした。
引き戸を開けると、狭い店内のテーブル席に座って食事をしていた10人くらいの客の視線が一斉にこちらに集まった。
(あれ?)と思いながら、その隣りに開いているテーブル席に腰を下ろして、メニューを見てみた。
すると、品数はそれほどなく、海鮮丼が750円のものと1,000円のものの2種類、それと季節限定の「はらこめし」が1,000円、その他何種類かの丼物が書かれてあった。
それで、何にしようか考えていると・・・、
いつまで経っても店の人が姿を現さない。
(どうなってるんだ?)と思いながらも、もう少し待ってみることにした。
しかし、待てども待てども、店内には店の人の姿がなかった。
それで、隣りのテーブル席で食事をしていた30~40代の4人連れの女性達の一人、、、その女性の席はベンチ式になっていてすぐ近くだったので、その女性に、「すみません、、、この店って、店の人、奥にいるんですか? 呼びに行かないとダメなんですかねぇ~」と聞いてみた。
すると、丼物を食べていたその女性は、ちょっと戸惑った感じで、「多分、呼びに行った方がいいと思いますよ」と答えてくれた。
それで席を立って、仕切りのない厨房の方に入って行くと、その奥の方で2人の人影が見えた。
それで、「すみませぇ~ん」と声を掛けると、「あ、、、すみません!」と言って、女性が箸を置いて立ち上がってこちらにやって来た。
「あら、すみませんでした・・・」と言って、「お茶、、、冷たい方がいいでしょうか?」と聞いて来て、お茶の用意をした。
それで、当初は「はらこめし」を食べるつもりでいたが、750円と1,000円の海鮮丼の違いを聞いてみた結果、1,000円の海鮮丼を注文した。
すると、奥から店主のような男性が出て来て、その女性がその男性に注文を伝えていた。
どうやら、先客の10人ほどの注文をこなした後、奥で賄いを摂っていたようだった。
そして出て来た「海鮮丼」は、いわゆる海鮮丼の他に、ヒジキの煮物と出汁がたっぷりと効いた味噌汁、それに何故か杏仁豆腐が付いていた。
その丼の上に載っている具材はどれもボリュームたっぷりで、これで1,000円はかなり安いんじゃない?(^_^)v、、、、と思いながらいただいた。
そして、食事をしている間、隣りやまたその隣りのテーブル席で食事をしている人達が、(中にはもしかしたら、遠縁の人もいるんじゃないか?)、、、なんて思ったりもした。
そんなことで、食事をしている間に、1時間に1本くらいしかない仙台方面行きの電車が行ってしまい、駅に着いた後は駅のすぐ傍に建っているお城の櫓のような姿をしている「
郷土資料館」に立ち寄った。
町中で見かけた人の少なさを考えると、あまりに立派過ぎる建物だったが、、、。
結局、午後1時54分発の常磐線仙台行きに乗って、2つ先の岩沼駅に向かった。
食事の時間を含めて、約4時間の滞在だった。
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以下、続く・・・。