中近東から原油を積んだタンカーが日本に向かう際にインド洋に出てその後、「マラッカ海峡」を通過する、、、。
そんな話で、マラッカ海峡と言う名前は聞いたことがあった。
恐らく、中学校だったか、学校で習っているはずだ。
しかし、日常の生活ではほとんどその名前を聞かない。
最近は、、、
マラッカ海峡で海賊が出るとか?、、、そんなニュースを聞いたくらいだろうか。
そのマラッカ海峡の「マラッカ」。
マレーシアの観光で初めて向かった町が、マラッカだった。
しかし、マラッカがマレーシアの都市の名前だったとは、、、
この旅に参加することになって改めて知ったが、それくらい我ながら認識不足だった、、、^_^;
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クアラルンプールから南に約100km、マレーシア半島の西海岸にあるマラッカは、16世紀の初めポルトガルに支配され、その後オランダ、イギリスと支配が続き、やがてはこのマラッカからマレーシア半島全土が支配されるにいたったと言う都市だったと言う。
そして、このマラッカはこの都市全体が、2008年に世界遺産に登録されたと言うことだ。
ホテルを出発してから途中トイレ休憩を一回とって約2時間半、バスはマラッカの中心部に到着した。
バスが止まったのはチャイナタウンの入口だった。
それほど広くない通りの上には、提灯があちこちにぶら下がっていた。
訪れた1月22日は、旧正月の前で、町では旧正月の準備が始まっていた。
バスを降りた後は、チャイナタウンの一本北側の通り(ハーモニー通りと言うらしい)を歩いて、まずは「青雲亭」と呼ばれる寺院に向かった。
青雲亭とは、ガイドブックによれば「チェン・フン・テン寺院」と言うマレーシア最古の中国寺院で、1646年に中国から運ばれた資材で建てられていると言うことだった。
入口を入ると、正面の本堂の屋根の上には、小さな動物や人間の像が飾られていた。
本堂前では線香が焚かれていて、そこで我々もガイドさんから線香を1本ずつ分けられ焼香した。
その線香は日本の線香とは違ってかなり長く、1本が30~40cmはあったろうか・・・。
境内の中には本堂の他にもいくつかお堂があって、そこでもそれぞれ香が焚かれていたが、見ていると、焼香したばかりの線香を寺の係りの人がすぐにやってきて抜き取って近くに用意されていたバケツに放り入れていた。
まだ火が付いているような線香をだ。
まぁ、線香も長いし、いろいろと事情があるんだろうが、まだ火が付いているものを撤収するとは驚いた。(*_*)
ところで、中国寺院。
今まで訪れた中国やタイ、ベトナムで中国寺院を見学したが、仏教寺院は日本にもあって日本のそれはもう「日本のもの」と言う意識があるせいか、アジアの仏教寺院を見ると今一違和感があった。
これが自分の中では非日常的なキリスト教会やイスラム寺院なら、どこの国にあるものでも見ればそれなりの「へぇ~」と言うものがあったものだが、外国で見る仏教寺院はどうも妙な感じだ。
自分の中にある「お寺」と言う常識的なものに対して、同じようで同じでない、、、でも、同じ・・・。 そんな感じがするのだ。
そんなことで、この時も観光地に来た感動が今一の状態で、青雲亭寺院を見学した。
青雲亭を見学した後は、日程表には載ってなかったが、同じくチャイナタウンの中に建っているヒンズー教寺院(スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院)やイスラム教のモスク(カンポン・クリン・モスク)を見学した。
モスクの中にはムスリムでないので入れなくて、外からの見学となったが、見ると当たり前だろうがミフラーブがあって、そこが間違いなくモスクなんだ、と理解できた。^_^;
こうやってモスクと言う形のあるものを見ると、改めてマレーシアがイスラム教の国と言うことが思い起こされた。
しかし、こうして目の前でイスラム教の存在を確認すると、日本ではほとんどイスラム教が普及してないことが幸か不幸か、、、と考えてしまった。
(-_-;)
メッカを中心に世界に広がり、一時は西はヨーロッパの多くの地域まで征服したイスラム勢力は、東は仏教の発祥の地域であるパキスタンやインドを始め、インドシナ半島、マレーシア半島やインドネシアにまで広がっているが、その流れが東の果ての国には届いていないと言うことはどう言うことなんだろう。
仏教や儒教は日本に伝わって来ているし、キリスト教だって紆余曲折あったがぼちぼち日本に根を下ろしているが、イスラム教は今一というかそれなりに、と言うことがイスラム教の特徴なのかもしれない。
さて、そんなことで、小さな町の中の極狭い地域の中に、仏教寺院やヒンズー教寺院、モスクが併存していることが、このマレーシアと言う国の特徴なんだろうし、そんなマレーシアの歴史の始まりになったのがこのマラッカと言う都市のようだった。
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以下、続く・・・。