JR中央線の高架下を潜ってから700mほど進むと、善福寺川は環状8号線に行き当たり、その下を流れて先に向かっていたので、我々は環状8号線に架かる歩道橋を渡って進んだ。
一般の住宅が迫る善福寺川沿いの狭い歩道を歩いていて、そんな環状線のような場所にたまに出ると、目の前に突然「都会」の景色が現れた感じで、改めてそこが東京だったことを思い出した。
環状8号線を越えてから更に1kmほど進むと、川の左手に低層の住宅街が見えて来た。
その住宅は比較的新しい建物に見えたが、そこは「荻窪住宅」と言って、都民の皆さんはほとんど知っているような一時話題になった住宅とのことだった。
そこは昔で言う「公団住宅」、現在はURの住宅で、老朽化などの問題で建て替えが必要になった際に住民の反対運動などでもめたところ、と言うことだった。
見ればかなり新しい様子で、「漸く建て替えが出来たんですね」とか「こんな風になっちゃったんだ・・・」と言う言葉が皆さんの間から聞こえて来た。
その辺りは川幅も広くなって来て、歩道沿いには桜の木が並ぶようになってきた。
そんな中には、ソメイヨシノとは違った鮮やかな色の桜の木が1本生えていた。
それは「陽光」と言う種類の桜の木らしく、ほぼ満開の状態に咲いた花にソメイヨシノとはまた違った美しさを感じた。
更に500mほど進むと、川の左右には公園が広がっていた。
そこは「善光寺緑地公園」で、善福寺川に沿って2km以上も続いて整備された公園だった。
その頃時刻は午後2時を過ぎていて腹も減って来ていたこともあって、歩く速度も自然と早くなっていたようで、気が付くと我々のグループは縦にばらけていた。
そんな中で、気が付くと途中参加の人が合流していた。
そして時刻は午後2時40分の頃、、、。
14人が揃ったと言うこともあり、その公園でちょっと遅い昼食となった。
弁当はちゃらぽこのオーナーさんの手作り弁当で、この弁当と散歩終了後にちゃらぽこでの打ち上げでコーヒーが付いて参加費が1,000円だった。
公園のあちこちではピクニックや花見が行われていて、ここまで来て漸く春らしい雰囲気になって来た。
我々は散歩の途中と言うことでアルコール抜きだったが、アルコールなしで桜の木の下で食事をするなんて、多分成人後初めてのことだったんじゃないだろうか?
^_^;
参加者の中の地元の人が言うには、例年はもっとたくさんの人が花見に出ているとのことだった。
広い公園の敷地の中には水場があり、トイレは常設トイレほかに仮設トイレも用意されていて、花見をするにはなかなかいい公園になっているようだ。
食事を終えて再び歩き始めると、公園地帯は善福寺川緑地公園から次の和田堀公園に続いていて、その先で公園の傍に建っている「大宮八幡神社」に立ち寄った。
大宮八幡神社は鎮守府将軍だった源頼義が奥州を平定して凱旋した際、康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮から分霊して建てた神社とのことで、境内近くには昭和44年の発掘調査で発見された弥生時代終末期の方形周溝墓三基があるとの案内板があった。
都会の中のこのような場所でこのような遺跡に遭遇したことに改めて驚いた。
大宮八幡神社で参拝を終えた後ふと見ると、ちゃらぽこのオーナーさんが名物の「桜甘酒」を注文していた。
その様子を見ていると、甘酒を用意していたのは巫女さんのようで、何と言うか、厳かと言うかゆっくりとと言うか、神事に則ってやっているからなのか、、、
かなりの時間をかけてカップ一杯の甘酒が出て来たようだった。
正面から神社を出ると、そこにもまた、倒壊した鳥居が横たわっていた。
倒れる時にぶつかったんだろう、近くの木の枝が傷ついていたり、鳥居の近くの石段の角が欠けていたりした。
人が被害に遭ってなければいいが、こんなものが倒れてきたらひとたまりもないだろう。
その先には「東京のへそ」と書かれた幟が立っていた。
ここは、重心的に、東京のへそなんだそうだ。
そして、大宮八幡神社を出て再び善福寺川に戻ると、時刻はもう午後4時15分を回っていた。
日が暮れる前に、ゴールに到着するんだろうか???
・・・
以下、続く・・・。