キルギスの現地ガイドのエルメックさん
キルギスのマナス空港で我々を待ち受けてくれていたのは「エルメックさん」と言うキルギス人のガイドさんだった。
バスに乗り込むとエルメックさんから挨拶があったが、その話す言葉が流暢な日本語で、また風貌も日本人に似ていたので、そのまま日本にいても誰も外国人とは思わないだろうと思えるようだった。
そのエルメックさんは、大学で日本語を学んで、JICAの職員として5年間働いていたとのことだった。
そして、将来は外務大臣になるのが夢で、「あと5年・・・」と時々つぶやいていた。
どうやらあと5年以内に、何とか外務大臣になる、、、と、強く考えているようだった。
その後詳しく話を聞いてみる機会があったが、外務大臣になることは単なる夢物語ではなく、実際に手が届きそうな、そんな夢のようだった。
エルメックさんの知人で年下の人でも既に国務大臣になっている人もいて、能力さえあれば大臣に登用されることは可能と言うことだった。
そして、「私が外務大臣になったら、まずは日本とのVISAをなくします。」と語っていたのが印象的だった。
9時20分を過ぎた頃、マナス空港を出てバスに乗り込むと、まずは「アクベシム遺跡」へと向かって出発した。
バスの2人の運転手
我々が乗ったバスを運転したのは、
①アナトールさん(ロシア系で、歌を歌うのが好きな人だった)
②ムスタルさん(キルギス系かは不明だったが、少なくともロシア系の人ではなかった、、、添乗員のSさんからは「ムスタルさん」と紹介されたが、後日、直接本人に聞いたところ、本人の発音によると「モホタル」か「モフタル」に聞こえた。)
の2人で、交代で運転した。
キルギスの街並み
マナス空港を出発したバスは、一路東に向かって走り出した。
マナス空港がある首都ビシュケクは、日本の外務省の情報によれば「渡航の是非を検討して下さい」と言われる地域になっているため、今回のツアーでは滞在もしないでスルーするだけになっていた。
そうこうして首都のビシュケクを抜けて30分も走って行くと、周辺にはのどかな田舎の町と言う景色が現れた。
一般的に首都近郊と言えば、高層のビル群が立ち並ぶ景色が続くものだが、そこには銀色をしたトタン屋根を載せた平屋建ての建物が並んだ景色が見えていた。
元々は遊牧民族だった人達の住む家、、、
その後定住化した人達が住んでいる家はどんな家なんだろう?と思っていただけに、そんなトタン屋根の家々を見て、何となく若干の違和感を感じてしまった。
(これが、キルギス人の住む一般的な住居と言うことなんだろうか?、、、)
そんなことを思いながら車窓からの景色を見ていたが、そんなトタン屋根の家はその後もずっと続いていた。
バス
我々を乗せたキルギスの道を走って行くバスはドイツ製のバスのようだったが、バスに問題があるのか、道路に問題があるのか、、、
いずれにしても、走って行くバスはかなりガタガタと揺れ動き、乗り心地はかなり悪かった。
暫く走って、恐らくその原因が道路の路面の状態にあるんだろうと思ったが、その道はそのまま中国まで続く道路で、その先600km行けば中国との国境に至るとのことだった。
そんな国際的な幹線道路が、、、
ガタガタの状態だった、、、。
キルギスの山々
車窓からは遠くに雪を抱く山々が連なっている様子が見えていて、エルメックさんからはそれが「天山山脈」の一部である「テルスケイ・アラトー」と言う山々だと教えられた。
それはキルギス語で「陽の当たる山脈」と言う意味で、日中に天山山脈の北側から見ると陽が当たっているように見えるので、そう呼ばれるとのことだった。
また逆に、更に北側のカザフスタンとの国境方面を見ると、そこには天山山脈の支脈の山々が連なっていて、それらは「クンゲイ・アラトー」と言う山々だと言うことだった。
クンゲイ・アラトーとは「陽の当らない山脈」と言う意味だ。
即ち、キルギスの東部地域は、北側にはクンゲイ・アラトー、南側にはテルスケイ・アラトーの山脈が連なっていて、それらの山脈に挟まれたところに、「イシク・クル湖」と言う幻の湖があったのだ。
我々がキルギスに滞在していた間は、これらの両山脈がほとんどどこでも見ることが出来たが、その景色はキルギスを象徴するようなものだった。
アクベシム遺跡
そうこうする中、空港から東に2時間ほど走ると、最初の目的地である「アクベシム遺跡」に到着した。
アクベシム遺跡:周囲の城壁がほとんど残っており、仏教寺院跡が発掘され唐代の砕葉城(スイアーブ)であることが近年明らかになった。
629年に出発した玄奘三蔵がインドに向かう途中、イシク・クル湖岸を通ってここで突厥の王に会い、歓待を受けたと「大唐西域記」に書いている。(「地球の歩き方」より)
ここには5~10世紀にかけてチュルク系の民族の都市があって、仏教寺院の跡もあると言う。
広さは20haもあるが、現在はほとんど何もないただの野原となっていて、かつてここに都市があったことを想像すのはかなり難しかった。
そして、三蔵法師が立ち寄ったと言われる記録があるほどの遺跡だと言うのに、保存状態がかなり悪いように思えた。
草は生え、建物跡と思われるものは日干しレンガが自然に崩れるのに任せているようだった。
周囲を囲って保存している訳でもなさそうだったし、誰か人が管理していると言う様子もなかった。
足元に生えている草のひとつは「ライ麦」とのことで、近くの畑から種が飛んで来て育ったのだろうか。
そう言えば、マナス空港に着陸する際窓から下に見えた緑いっぱいの畑は、小麦畑や牧草地だったらしい。
(しかし、、、こんなことでいいの?)、、、そんな感じだった。
事件です!
「アクベシム遺跡」の見学を終えて再びバスに乗ると、次の目的地である「ブナラの塔」に向けて出発した。
そして、35分ほど走った頃だった。
急に、「ガラガラガラ!!」と言う、それまでガタガタの道を走っていて聞こえていた音とは明らかに違う大きな音が聞こえた。
その瞬間、(あれ?)とは思ったが、その時は何が起こったのかわからなかった。
が、虫の知らせとでも言うんだろうか、、、
音が聞こえて来たバスの左側の窓の外を見ると、そこには!!
とんでもない光景が広がっていた!(*_*)
と、同時に、それまで飛ばしていたバスが、急に停まった。
お~!
何てこった!!
何と、マナス空港でバスに積み込んだ我々のスーツケースが道路上に散乱していたのだ。
(一体何があったんだ!?)
いずれにしても、「何か」が起こっていた。
すると、、、
運転手のアナトールさんとムスタルさんが停車したバスから降りて、そこに散乱しているスーツケースを慌ててバスの側面にあるトランクルームに納め始めていた。
トランクルームのドアの締め方が甘かったのか、路面の状況があまりに悪くてその振動でドアが開いてしまったか、詳しいことはわからないが、ガタガタの道路の路面に放り出されたスーツケースは、いずれにしてもそれなりのダメージを受けただろうと言うことは想像出来た。
(あ~、、、買ったばかりのスーツケースなのに・・・)
今回使っているスーツケースは、5月に買ったばかりのスーツケースで、今回が使い初めだったのだ。
結局その後ホテルにチェックインした後スーツケースをチェックすると、片面が全面に亘って見事に擦れていて傷ついていた。
他の人もそれなりに被害を受けていたようで、千葉から参加していた男性のSさんは、スーツケースに巻いていたベルトの留め口が擦れて壊れていたと言っていた。
また京都から一人で参加していた女性のMさんは、スーツケースのロックの部分がそっくり取れてしまって、鍵が掛からなくなってしまった、と言っていた。
何と言うことか、、、。
しかし、2人の運転手さんがサクサクと道路に放り出されていたスーツケースをバスの中に収納し終わると、まるで何事もなかったようにバスは走り始めた。
その後、ガイドのエルメックさんからも添乗員のSさんからも、その一件についての説明は何もなかった。
まだ旅は始まったばかりだと言うのに、、、。
・・・
以下、続く・・・。