ホテルに戻って昼食
パフラヴァン・マフムド廟の見学を終えると、午後1時になっていた。
それで、午前中の観光を終えて、そこからは歩いてホテルに戻って、ホテルのレストランで昼食を摂った。
お腹の調子は回復傾向にあったので、この時はほとんどお腹のことを心配せずに食事を摂ることが出来た。
また、観光中の暑さのこともあって、ビールを美味しく飲むことが出来た。
午後のシエスタ
ヒワの観光ではあと一カ所残っていたが、そこは夕方に周ることになっていて、それまでは「シエスタ」をとることになった。
午前中でも結構暑かったが午後はそれ以上に暑くなると言うことと、今朝の出発時間が早かったと言うこともあって、このシエスタはいい休憩時間になった。
それにしても、部屋にはエアコンがなかった。
まぁ、幸か不幸か、日頃からエアコンなしの生活をしているので、それほど気になることではなかったが・・・。
と言うことで、部屋に入ると、ベッドの上でウツウツとしてしまった。
・・・
気が付くと、1時間ほど眠ってしまっていたようだった。
さて、、、
外はまだ暑そうだったが、せっかくヒワまで来ていて、夕方からもう一カ所だけ見ると言うのでは如何にももったいない・・・。
これが日本人の旅のスタイル、忙しないことだと思いつつも、もう一度ヒワの町に繰り出すことにした。^_^;
フリータイムは、「門」巡り
午前中は、ヒワのイチャン・カラ(内城)の中のメイン・ストリートに沿って、その左右にある遺跡や建築物を見学したので、そのフリータイムの時間はイチャン・カラの外側に巡らされている城壁に沿ってぐるっと歩いて、東西南北それぞれにある「門」を周ってみることにした。
まずは、午前中見学したキョフナ・アルクのところまで行って、その外壁に沿って北に向かって歩いた。
キョフナ・アルクを周り込むようにして歩いて行くと、左手には城壁が出て来て、それに沿って歩いて行くと、100数十mほどでその城壁が右手に曲がっていた。
そこを右手に曲がって行くと、その周辺には一般の人達が住んでいる家が建っていた。
メイン・ストリートが世界遺産ヒワの表舞台なら、その辺りは生活感が漂う舞台裏と言った感じだった。
バフチャ・ダルヴァザ門
角を曲がって100数十mほど進むと、そこには北門である「バフチャ・ダルヴァザ門」があった。
メインの西門「オタ・ダルヴァザ門」の前には多くの人の姿があったが、この北門はほとんど人通りがなく、あまりに閑散としたのに驚いた。
それで、その門を潜って外に出てみることにした。
門の外に出ると、タクシーが数台待機していた。
近くの茂みの向こうには観覧車が見えていたので、近くに遊園地でもあるのかもしれない。
そんなことよりも、ここから入れば、入場料を払わなくても入れるんじゃないの?、、、とこすいことを考えてしまった、、、^_^;
パルヴァン・ダルヴァザ門
再びイチャン・カラの中に戻って、城壁に沿って今度は東に向かった。
その先の辺りでは観光客の姿などは全くなくなって、地元の人の姿もほとんど見なくなった。
それで、少しビビってしまって、城壁の間近の通りの一本手前の通りを曲がって東門の方に向かった。
すると、その先でメイン・ストリートに近づいたと思われる辺りで、急に人の姿が増えて来た。
そうこうしているうちに、午前中近くを歩いたような通りに出た。
また、見たことがある景色が見えて来た。
それで、その辺りを暫く散策していると、門がある方に、「メドレセ」と思わる建物が建っていた。
それは「アラクリ・ハン・メドレセ」で、我々の見学コースには入ってないメドレセだった。
東門「パルヴァン・ダルヴァザ門」は、そのメドレセの隣りにあった。
*東門「パルヴァン・ダルヴァザ門」:イチャン・カラの東の門で、別名、奴隷の門。 ハンがタシュ・ハウリ宮殿から来て、刑罰を宣告したので王の門とも呼ばれた。
約3世紀にわたって、ヒワは中央アジアで一番の奴隷市場がある町として知られていた。 東門の近くに奴隷市場があったので、奴隷の門とも呼ばれていた。 今でこそ日用品、洋服などの普通の商品が売られているにぎやかな市場だが、かつてはここで鎖に繋がれた奴隷が売買されていたのだ。 奴隷たちは、カラクム砂漠を越えてやって来たトルコ人部族や、草原のカザフ族に買われた。 ヒワのハンは、奴隷を仕入れるために近隣の住民や旅人を襲わせた。 18世紀には南下して来たロシア人を捕えて売り出したので、ロシアは軍隊を派遣してロシア人奴隷の解放を要求した。 1873年にロシアの支配下に入るまで、奴隷の売買は続いた。(「地球の歩き方」より)
この門も中を潜って外に出てみた。
外に出ると、中側の喧騒が嘘のようなあっけない風景だった。
そして、この門もフリーで通ることが出来た。 ウズベキスタン人は、それだけ真面目な人が多いと言うことなんだろうか、、、?^_^;
ミナレットに登る
再びイチャン・カラの中に戻ってさて、どうするか、、、残るは南門だけだけど、南門はホテルの近くだからホテルに戻る前に寄ればいいかな?、、、と思ってその辺りを散策していると、同じツアーのMさんが向こうから歩いて来た。
そして、「塔、登った?」と聞かれた。
このイチャン・カラの中で一番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットは有料で登ることが出来ると聞いていたので、フリータイムの時に登ってみようと、昼食の時にMさんと話をしていたのだ。
そのMさんは、もう登って来たと言っていた。
実は、東門を潜る前に一度そのミナレットの前まで様子を見に行ってみたが、その時は高校生達がたくさんミナレットの入口に繋がる階段のところに群がっていた。
それで、少し様子を見ようと思って、その時は登らなかったのだ。
なので、今行けばそんなに混んでないかも?、、、と思って、Mさんとはそこで別れて早速ミナレットへと向かった。
ミナレットの前に着くと、幸いにも階段には一人の姿もなかった。
それで(今なら大丈夫!)と思って、すぐに階段に向かった。
すると、階段の手前のところに、どこからかさっと女性が出て来て、手を出して来た。
ゲッ!!、、、そうだった・・・。
このミナレットに登るには、別途料金が掛かると言っていたっけ・・・。
と言うことで、「ハウマッチ?」と聞くと、右手をさっと開いて「ファイブサウザンド」と答えた。
(5,000スムか・・・)
「地球の歩き方」には、3,000スムと書いてあったが、、、。
まぁ、しょうがない、、、と思って、5,000スムを支払って、早速目の前の階段を登り始めた。
実は、後でMさんにこの話をしたら「私は、3,000スムだったわよ、、、人を見て値段を決めてるんじゃない?」と言われてしまった。
さて、とにかく、人が来ないうちに登ってしまおう!
と言うのも、ミナレットの中の階段は狭くて暗いので、上から降りて来る人と下から登って行く人がすれ違うことになると大変なことになったのだ。
それで入口から入ると、思った通り中は真っ暗で、キルギスで登ったミナレットと同じように、階段に手を着いて、這うようにしながら登り始めた。
途中で窓が開いているところがあって、そこからは光が差し込んで来ていたので、その辺りからは階段の様子がわかるようになってきた。
そして、息が厳しくなりつつ、大腿がガクガクしながら、漸くミナレットの最上部に着いた。
そこには先客で、高校生くらいの男性2人と女性2人がいた。
そこからは、イチャン・カラの様子が手に取るようにわかった。
午前中は、ガイドのザファールさんの後を追いかけるようにして、次から次へとメドレセから~廟へと歩いて行ったので、それぞれの建物の位置関係が今一分かりにくかったが、上からみれば一目瞭然だった。
そしてまた、ひと汗かいたあとの風が気持ち良かった。^_^;
そんなことで、気持ち良さにひとりで浸っていると、狭い最上部にいた高校生達がそんなことはおかまいなしにはしゃいでいた。
その様子は、男性が女性を口説いているように見えた。
そうこうしているうちに、男性の1人が携帯電話の蓋のようなものを取り出して、1人の女性にしきりに何かを聞いていた。
それでその女性が何かを答えると、男性はその蓋のようなものの角を使って、ミナレットの壁に引っ掻いて文字を書き始めていた。
どうやらそれは名前のようだった。
ふぅ~~ん、なるほどねぇ~~。
と思って見ると、その辺りの壁には、あちこちに同じような書き込みがしてあった。
(こ、ここは、世界遺産、だぞ!?)
しかし、
「人の恋路を邪魔するやつは 馬に蹴られて 死んじまえ」
子供の頃に聞いたことがあるそんな言葉が頭をよぎったので、余計なことは何もせず、さっさと降りることにした。^_^;
さて、ミナレットの下りも、幸いにも登って来る人とはすれ違わなかった。
ラッキーだったようだった。
その後も、イチャン・カラの中をあちこち散策しつつ、ぼちぼち夕方の集合時間が近付きつつあった頃、南門に向かうことにした。
タシュ・ダルヴァザ門
*南門「タシュ・ダルヴァザ門」:イチャン・カラの南門。 カラクム砂漠へ行く人はこの門から出て行き、砂漠から来る人はこの門を目指してやって来た。 門の左右にがっしりした塔があり、日が沈むと見張り番が座った。 扉は頑丈に造られており、侵入者を警戒していたことがわかる。 タシュとは、固い石の意味。(「地球の歩き方」より)
南門もまた、メイン・ストリートとは離れていたためか、周辺には人の姿はほとんどなかった。
それにしても、確かに門の両脇の塔は、がっしりとしているように見えた。
(注:画像では、門とその脇の塔に波目の模様が入っているに見えるかもしれないが、それは画像上のことで恐らくモアレが発生しているものかと思われるが、実際は他の門と同じようにレンガ積みの造りだった。)
この後、少しまた散策しながら、ホテルに戻った。
・・・
以下、続く・・・。