中央アジア4カ国の旅も、いよいよ4カ国目のトルクメニスタンに入ったと言うことで、まずはトルクメニスタンの基礎データについて。
国名:
トルクメニスタン
(Turkmenistan)
2011年1月現在
*他の中央アジアの国々と同じように、「トルクメン人の住むところ」と言う意味。
トルクメニスタンの国旗:
三日月と星の組み合わせは、オスマン帝国の国旗にも使われたシンボルで、トルコ、アゼルバイジャン、ウズベキスタンなどのテュルク人の国家や、マレーシアやパキスタンなどイスラム国家の国旗によく使われるオスマン/イスラム系のシンボルだ。 そして、5つの星は、トルクメニスタンの5つの州を象徴している。
赤い帯に描かれた5つの絨毯模様は、トルクメン人の5つの代表的部族を象徴するもので、トルクメニスタンが部族社会であったことを伺わせる。
また、部族社会であったために、中世~近世・近代には、民族で国家形成が出来ず、周辺国家の支配下に組み入れられたと言うことのようだ。
一般事情
1.面積
48万8,000平方キロメートル(日本の1.3倍)
*しかし、国土の多くは砂漠。
2.人口
520万人(2010年:国連人口基金)、、、
*福岡県の人口より少し多いくらい。
3.首都
アシガバット
(Ashgabat)
4.民族
トルクメン系(81%)、ウズベク系(9%)、ロシア系(3.5%)、カザフ系(1.9%)、その他アゼルバイジャン系、タタール系など
*ロシア人は減少傾向にあると言う。
5.言語
公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。 ロシア語も広く流用。
6.宗教
主としてイスラム教スンニ派
7.略史
年月 略史
8~10世紀頃 トルクメン民族の起源とされるオグズ族が、アラル海付近のステップ地帯を中心に中央アジア地域に展開
10世紀 イスラム教に改宗したオグズ族の他称としてトルクマーンが使用されるようになった
・・・
11世紀~12世紀頃
テュルク系セルジューク朝の下、各地で軍事的な主力として活躍
・・・
14世紀~16世紀 現在のトルクメン諸部族の形成が進む
・・・
16世紀~19世紀
ヒヴァ・ハン国やブハラ・アミール国の下、現在のトルクメニスタン領オアシス地域に徐々に定着。半農半牧の生活に移行
・・・
1869年
帝政ロシアがカスピ海東岸に侵攻し、クラスノヴォツク(現トルクメンバシ)の礎を築く
1881年
ギョクデペの戦い(帝政ロシア軍の侵攻に対する熾烈な抗戦)
1885年
帝政ロシアがトルクメン諸部族のほとんどを支配下に
・・・
1924年 ソ連の民族共和国境界画定により
トルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が成立
・・・
1990年8月22日 共和国主権宣言
1990年10月27日
ニヤゾフ大統領就任
1991年10月27日 共和国独立宣言
1992年5月16日 共和国憲法採択
1995年12月 国連総会において
「永世中立国」として承認される
1999年12月28日 議会の全会一致によりニヤゾフ大統領が終身大統領に
2006年12月21日
ニヤゾフ大統領死去
2007年2月14日
ベルディムハメドフ現大統領就任
*ニヤゾフ大統領時代は彼の独裁国家で、ニヤゾフ死後のベルディムハメドフが大統領となり独裁国家を継承している。
(以上は、外務省のHPより:
緑色の太字部分は☆丸による注記)
◆海外安全情報:
*外務省のサイトより
短い滞在期間だったが、トルクメニスタンの国内では、警察官の姿をあちこちで見かけた。
警察国家ではないだろうが、警察官が多い国は、いいか悪いかは別にして、概ね治安は良いようだ。
そんなこともあってか、ここ数年、中央アジアで起こっていた民族間での紛争・暴動も、ここトルクメニスタンでは起こっていないと言うことだ。
・・・
トルクメニスタンは、謎が多い国だ。
それは、「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれることからも想像できる。
(何でそう言われるのは、後々何となくわかって来た)
また、ソ連を構成していた国だったために、今もってあちこちにロシアの影響が残っているが、そんな中で、中央アジアの他の4カ国に比べると、ロシアとの距離を置こうとしているらしい。
そして意外だったのは、このトルクメニスタンは、世界の中でも数少ない永世中立国のうちの一国だと言うことだ。(他には、スイスとオーストリアだが、オーストリアはEUに加盟したため、形骸化したと言われている。)
そんな事実も、今回の旅に出るまで知らなかった。
また、トルクメニスタンでは、「自由な旅」は出来ないようになっている。
それは、ガイドと車を付けた観光地を周るコースが決まっていて、それに沿って観光をすると言うことになっているのだ。
事実、我々が周ったコースは、ガイド本の「地球の歩き方」に載っていたコースと全く同じ旅程だった。
一説によると、ガイドさんは、ガイドの役目の他に、観光客の監視役と言うことでもある、らしいのだ。
これが、「中央アジアの北朝鮮」と言われる由縁のひとつかもしれなかった。
・・・
以下、続く・・・。