国境の緩衝地帯を歩く
国境のトルクメニスタン側の緩衝地帯をシャトルバスに乗って来た人達がバスから降りたところで皆さんと合流し、その先は全員で歩いてウズベキスタンの入国審査の建物まで歩いて行くことになった。
結構長い道のり。
道路沿いには大型のトラックが何台も列をなして止まっていた。
それらのトラックはトルコやイランのマークがついているものが多かった。
国境を越えて品物を運んでいると言うことなんだろう。 これは、国境が陸続きになっている国ならではの光景だろう。
我々はそれらのトラックが作っている日影を選んで、、、それは結果としてトラックのすぐ脇を歩くことになったが、トラックに沿って歩いて行った。
そこには運転席から降りて食事をしていたり車両の整備をしている人達がいて、すぐ近くを歩いている我々に時々視線を向けていた。
そんな中、後ろの方から乗用車が走って来て、バラけながら歩いていた我々の中の女性の傍で止まった。
運転席と助手席には迷彩服を着た兵士姿の男性が乗っていて、その女性に何か声を掛けていた。
その様子は、明らかに「乗って行かないか?」と言っているようだった。
それを見ていた東松山のMさんご夫妻の奥さんが、「あんなのに乗っちゃだめよ~、どうなるかわからないんだから・・・」とそこには声が届かないくらい距離が離れていたが、心配そうに見ながら言っていた。
すると、結局その車はそのままそこから立ち去って、ウズベキスタンの入国審査所のある方に向かって勢いよく走って行った。
後で聞いたところ、やはり「乗っていかないか?」と声を掛けられていたようだった。
ま、定かではないが、それは国境を警備する兵士のアルバイトのようなものだったらしい。
車で審査所の近くまで乗せてもらって、何某かの金銭を支払う、、、そんなことだったしい。
そして何分くらい歩いたろうか、、、
その先に漸く金網のフェンスと鉄製の門が見えて来て、そこに機関銃を肩から下げた警備の兵隊が立っているのが見えて来た。
入国審査所の外で待たされる
我々がそこに到着すると、その門の前には既に数人の現地人風の人が待っていた。
その門の向こうには10数mくらいだろうか、左右にフェンスがある幅2~3mの道が続いていて、その先に建物が建っていた。
その建物の中でウズベキスタンへの入国審査が行われていて、その建物の前にもう一人立っていた警備の兵から合図があると、その都度一人ずつ門から中に入って行くようになっていた。
さて、そんなことがわかって、その後暫く門の前で待っていたが、建物の中での手続きの進捗具合が全くわからず、とにかくなかなか次の人が呼ばれなかった。
それだけでも時間が掛かったのに、中央アジアに来てからは付き物の「割り込み」が何度か行われて、なお更中に入れず、どんどんと時間は過ぎて行った。
当然、その門の前で待っている我々の頭の上には太陽がぎらぎらと輝いていて、そこに椅子がある訳ではなかったので、長い距離歩いて来て疲れている上、日向で長時間待たされて自分を含めて他の皆さんも、相当参っていたようだった。
そして、門の前にいる警備員の目の前で公然と割り込んで行く地元の人?を我々が何とか割り込ませないようにしていても、変にそこでトラブっているように思われてもまずそうだと言うことで、添乗員のSさんからはあまりそこで地元の人ともめない方がいい、と言われてしまった。
そんなこともあって、精神的な疲労も重なって、具合が悪くなる人もいた。
そこで1時間半以上は待たされただろうか、、、
漸く我々の順番になったので、一人入ってよい!と言う相図があった時には具合が悪い人、そして高齢の人から順番に建物の中に入って行った。
それで数人が時間を掛けて建物の中に入って行った後、残った我々日本人グループはまとめて行ってよい、と言うことになって、それで漸く建物の中に入れることになった。
審査所の中に入って、まずは健康チェック
ヘロヘロに疲れきって漸く入国審査所の建物に入ると、そこですぐに手前の部屋にいた白い服を着て手に何か機械のようなものを持った男性が出て来て何か話しかけて来た。
審査所に入ったばかりでワサワサしている状態だったので、何の事だかそれも気が付かないくらいだったが、先に入っていた人が「体温を測ってくれるのよ」と教えてくれた。
すると、何やら機械を向けられて何か計測されたようで、その結果がどうも規定よりも体温が高かったようで「高いなぁ~」とでも言っていたようだった。
どう言う測り方をしたのかわからないが、あれだけ長い時間外で待たされたんだから、そりゃ~体温だって若干は上がってるだろう~?
と、正直思った。
そうしたら、多分その係りの人もそう思ったんだかどうか、口頭で「体調に問題ないか?」と言うことを聞いて来た。
それで「ノ~、プロブレム、OK~!」と返事をすると、それで終わりだった。
そして、後から入って来た人にもその係りの男性は次々に同じようにしていた。
チェックはしていたが、意外と簡単にスルーしてしまったようだった。
これじゃあ、日本の成田空港の「健康相談室」みたいじゃないか、、、と思ったが、公にはそんなことは言ってらないことだろう、、、^_^;
しかし、このような場所に、日本人が好きな「マスク」をして入っていたら、痛くない腹をあれこれと探られていたかもしれない。^_^;
まぁ、幸いにもこの時、この「健康チェック」の場所で、引っ掛かった人はいなかったようだった。
入国審査
その後はそれぞれのパスポートと書類をまとめて添乗員のSさんに手渡した。
ウズベキスタンに再び入るには、カザフスタンからウズベキスタンに入った時に提出してチェックを受けていた「外貨の持ち込み額」をもう一度ここで申請しなければならなかったのだ。
そしてそれは、入国審査の窓口はひとつで、その前に我々が集まって、添乗員のSさんが窓口に提出していた申請書に従って順番に名前を呼ばれて、それで一人一人審査を受ける形となった。
その間にも奥の方にいて何か書類を手にした男性が何人かやって来て、我々の塊の間に分け入って、窓口に書類を出そうとしていた。
それを、添乗員のSさんが身体で阻止する形でガードして、時々「ノ~」とか言っていた。
そうして割り込もうとしていた男性達は、緩衝地帯に止めてあったトラックの運転手達のようだった。
そこで入国審査が終わらないと、国境を通過出来ないのだ。
運転手の審査はそこの窓口で手続きをする前に奥の方で事前に何か手続きがあったようで、奥の方から時々男性がやって来ては、窓口前に固まっていた我々の状態を見て、困り果てた様子を見せていた。
仕事なので一刻も早く国境を通過したい、、、そんな思いは痛いほど伝わって来たが、そこで甘い顔を見せて、今まで「キルギス→カザフスタン」、「カザフスタン→ウズベキスタン」、「ウズベキスタン→トルクメニスタン」、、、そして今回も審査所前の門のところで、散々割り込みを許して来ていたので、ここはぐっと我慢して、一人の割り込みも許さない!、と言う覚悟で、とにかく我々の審査を終わらせてもらった。
恐らく、他の皆さんも同じ思いだったと思う。^_^;
それにしても、我々の間から何度も手を伸ばして窓口に書類を入れようとしていたトルコ人の運転手のやるせない表情が、何とも印象に残っていた。
申し訳ないけど、、、
これで、日本を嫌いにならないでね、、、そんなことを思ってしまった。
再びウズベキスタンに入国
午後5時過ぎ、、、漸く長かった入国審査を終えてその審査所を出てウズベキスタンに入ると、そこにはあの、ガイドのザファールさんが待っていてくれた。
記憶は定かではないが、疲れ切った我々の姿とは好対照の、陽気なザファールさんの声が聞こえていたようだった。
そしてバスに全員が乗り込むとすぐ、午後5時10分過ぎにはその場を出発した。
ところで、出国~入国審査の間は、トイレで用が足せなかったので、「取り敢えずトイレ」と言うことで、バスが出発してから5分ほどで早速、青空トイレでバスは止まった。
そして再びバスが出発すると、そこからは「聖なるブハラ」と言われた「ブハラ」へと向かった。
夕食
午後6時45分の頃、ブハラの町に入った。
そして、ホテルのすぐ近くのレストランで夕食となった。
そこでは、いつものように、前菜のサラダ、ナン、スープ、そしてメインのケバブが出て来たが、マリィからの移動の際のバスの「揺れ」で相当疲れていたことと、国境越えの際の暑さと疲れがあったんだと思うが、食欲は全くなかった。
そのため、出て来た料理にはほとんど手つかずだった。 何だかもったいないと言う気持ちと、作ってくれた人に申し訳ないとは思ったが、身体が受けない状態だった。
そうではあったが、やはり暑かったし喉が渇いていたいこともあって、ビールだけはしっかりと注文して飲んでしまった、、、^_^;
そして
他の人は?と様子を見ると、、、
近くに座っていた横須賀のSさん、彼は国境の緩衝地帯で金網の破れを潜って中に入って行ってしまったうちの一人だったが、そのSさんは昼間から腹の調子が悪いようだった。
昼食の時はテーブルが違っていたが、食後、トイレの前で他の人にトイレットペーパーを分けてもらっていた様子を見ていた人がいた。
と言うことで、それまでは何とか周りの人に付き合って食事の時にはビールを飲んでいた横須賀のSさんだったが、さすがにこの夕食の時にはビールは注文していなかった。
それくらい、皆さん、疲れているようだった。
そして、横須賀のSさんは、体調的には最悪の状態のようだった、、、。
ホテルに到着
夕食を終えてホテルに入ったのは、午後7時45分の頃だった。
ホテルが建っている所は、旧市街からはちょっと距離があったが、チェックインした後部屋に入って窓から外を見てると、その旧市街が遠くに見えていた。
実は、このブハラ市内には、ワインのテイスティングが出来る店があって、小諸から参加していたMさんと言う女性が夕食後その店に行きたいので一緒に行きませんか?と誘われていた。
その店はホテルからは1kmもないくらいのところだったので、歩いても15~20分もあれば行けるところだった。
そのMさんは、最近ワインの勉強を始めていたと言うことで、今回のツアーに来てからは大体飲み仲間が決まって来ていて(酒を飲む人が限られていたので)、食事の際には同じテーブルに着くことが多くなっていた。
そんなこともあって、夕食の際に千葉のSさんと一緒にそのワインのテイスティングの店に行きませんかと誘われていたのだ。
しかし、体調がどうにも今一の状態だったので、やむなくお断りしてしまった。
普段ならそう言ったお誘いは決して断らないことを信条にしているので、何とも情けなかった、、、。
・・・
以下、続く・・・。