予定外のメドレセの見学
慌ただしい15分間のフリータイムを終えて再集合をすると、そこからは観光の予定には入ってなかったメドレセに向かった。
恐らく、、、
旅行会社のスケジュールには入ってなかったが、地元のガイドとしてはどうしても紹介しておきたかった、と言うか、ここブハラまで来て、中には入らないまでもその施設・建物を全く見ないで素通りさせる訳にはいかないと思ったのかも知れない。
ま、本当のところはわからないが、我々からしてみれば嬉しいことだった。
って言うか、何で元々のスケジュールに入れないの!?、、、企画している人!!、、、と言う感じだった。
入場料だって、0.5ユーロ相当の現地通貨って言うから、せいぜい50円くらいでしょ?
両方見たって100円。
どう言うことなんだろうねぇ~?
時間に押されてるって言う感じは全くなったしね・・・。
と言うことで、、、
そのメドレセは、はさみの店が近くにあった「タキ・ザルガロン」を出てすぐのところに建っていた。
位置的に言うと、最初に見学したカラーン・ミナレットやカラーン・モスクが建っていた手前の道、その道を歩いて来て、路上で木工品や陶器を売っているのを見て、そのまま歩いて「タキ・ザルガロン」の中に入って、またそのままそのタキを抜けた先に当たっていた。
つまり、カラーン・モスク前の「フッジャ・ヌラバット通り」をそのまま真っすぐに歩いて来たところに、2つのメドレセが建っていた。
そこには通りを挟んでメドレセが2つ建っていた。
ガイド本の「地球の歩き方」には、写真付きでその2つのメドレセが載っていたので、それなりに見所があるメドレセだったんだろう。
その通りの北側に建っていたのが「ウルグベク・メドレセ」で、南側に建っていたのが「アブドゥールアジズ・ハン・メドレセ」だった。
*ウルグベク・メドレセ:ウルグベクは、真の教育施設にしたいと願ってサマルカンド、ブハラ、ギジュドゥヴァンの3カ所に神学校を建てた。 このブハラの神学校は15世紀の初めに建てられた。(1418年創建、1585年修復)、現存する中央アジアで最古の神学校だ。 各所に残る植物や星、幾何学模様の装飾を見ると、当時の彩釉タイルによる豪華な装飾が目に浮かぶ。
メドレセの扉にはウルグベクの格言「知識こそ、ムスリムになくてはならぬもの」が彫られている。(「地球の歩き方」より)
*アブドゥールアジズ・ハン・メドレセ:ウルグベク・メドレセが建てられてから200年以上も後に建てられた神学校。 中庭を囲んで2階にアーケード状の部屋が造られ、夏の礼拝室、冬の礼拝室と創立者の廟がある。 装飾にはインドやオスマン・トルコ帝国からの影響が見られる。 この200年間にイスラーム建築がかなり変化したことが、比べてみるとわかる。(「地球の歩き方」より)
200年の違いがあると言うことだが、新しい方のアブドゥールアジズ・ハン・メドレセは、確かに下から見上げると、入口の天井近くの鍾乳石状の模様のところに比較的新しそうな綺麗な色が装飾されていた。
ガイド本の「地球の歩き方」には、両方のメドレセとも入場料を0.5ユーロ相当の現地通貨で支払えば内部の見学が出来るように書かれていたので、その気になれば中に入って見学出来たようだったが、我々の見学コースには入ってなかったので、外から見て説明を聞いただけで終わった。
その後は再びタキ・ザルガロンの中に戻って、中央の十字路のところから南へと向かった。
パン屋さんを見学
その先で、ガイドのザファールさんが、「パン屋さんがあるので寄って行きましょう」と言った。
そのパン屋さんは、店の入口に「WECOME TO OUR BAKER’S! UZBEK NATIONAL BREAD.」と書かれてあった。
中に入ると、奥で火が燃えている窯があった。
その中にパン、と言うかウズベキスタンでは「ナン」と言うパンを入れて焼いていた。
外に出れば30数度の気温がある中、大変な作業のようだった。
昼食前の仕込み中だったためか、焼き上がったナンが窯の周辺に何枚も置かれていた。
そのナンは、直径20数cmくらいの丸型だったが、1枚1,000スムと言うことだった。 約50円と言うところだろう。
観光、と言うことではないかもしれないが、こう言った現地の人達の暮らす様子や仕事場の様子に接することが出来ると言うのも、また嬉しいものだ。
もしかしたら、日本に来る外国人観光客が築地を見たい、と言うのも、そんなことなのかもしれない。
窯でナンを焼く作業を見学した後は、ザファールさんはその裏側に入って行った。
その後を追って行くと、そこは裏方と言うか、ナン職人さん達の昼食、即ちまかない料理を作っているところだった。
そんなところまでよく見せてくれるなぁ~~、と思いながら、その中にいるだけで暑かったので、早々にその場を後にした。^_^;
小休止
再び南へ延びている大通りに戻って歩いて行くと、その先で左手に建っていた「アブドゥーラ・ハン・ティム」と言う建物の中に入った。
その建物がどう言うところかは今一よくわからなかったが、雰囲気的には先ほどフリータイムのあった「タキ・ザルガロン」に似ていて、そこでは絨毯などを扱っている店が何軒か営業をしていた。
そして、その建物の中央辺りには、イスラム風の高さの低いテーブルと椅子が何組か置かれてあった。
時刻は午前10時25分を回った頃だったが、外の暑さと2時間くらいずっと見学をしているための疲労と、あとはトイレ、と言うことで、そこで休憩をとることになった。
それで、トイレは有料で500スム(=約25円)と言うことで、トイレに行きたい人は行く、買い物をしたい人は店を見る、休みたい人はそこで休む、と言うことで、20分間の休憩となった。
そこはどうもこの辺り一帯の休憩施設になっているようなところだったようで、我々の他にも欧州系の観光客も休んでいた。
タキ・テルパクフルジャンに向かう
10時45分になって休憩場所のアブドゥーラ・ハン・ティムを出発すると、再び太陽の下、大通りに出て南へ歩いた。
そこから100数十m先には、もうひとつのタキである「タキ・テルパクフルジャン」が建っていたが、そこまでの間、通りには何軒かの店が営業をしていた。
それらは、ブハラの木工製品を扱っていたり、衣料品を扱っていたり、日用品を扱っていた。
木工品の店の前では、そこに並んでいるような品物、それらは木組みの書見台らしいが、それを作っている実演をしていた。
しかし、ほとんど誰もそこでは足を止めず、どんどんと先に進んでしまった。
やはり、日向は暑かったと言うことだったんだろうか?
そして、次の「タキ・テルパクフルジャン」に入るとほっとした。^_^;
屋根のあるところでは日差しが防げるからだ。
そして、そのタキは、さきほどのタキとは今一雰囲気が違っていた。
店の数が少なかった、と言うこともあったのかもしれない。
そのタキ・テルパクフルジャンは、朝一番でカラーン・モスクやカラーン・ミナレットを見学した後30分間のフリータイムがあった時に、歩いて来てたまたま見つけたところだった。
あの時はまさか後でここにやって来るとは思っていなかった。
タキとは「十字路」の上に丸屋根が載っているところと言うことで、我々はその時、北側から大通りを歩いてこのタキに入って来たが、朝のフリータイムでここに来た時には、このタキの西側の入口を見た格好になっていた。
と言うことで、恐らく、、、?
このタキを西側の入口から見たのは、自分だけだったんじゃないだろうか、と思っている。^_^;
ところで、そのタキ・テルパクフルジャンは、昔は帽子市場だったところだと言う。
と言うことでかどうかはわからなかったが、店の中には帽子を扱っている店があった。
それが、見るからに旧ソ連軍が使っていたような軍帽だったのだ。
こんなものが売られていいのか?
と思ってガイドのザファールさんに聞いてみたら、旧ソ連時代のものだけでなく、ウズベキスタン軍のそう言った軍用品も結構売られていると言うことだった。
そんな時、たまたま近くに一匹の子猫がいるのを見つけた人がいた。
むぅ~~、
洋の東西を問わず、猫って、癒されるよねぇ~~、
と言うことで、皆さん、その猫を見つけて、結構喜んでいた。^_^;
・・・
以下、続く・・・。