15日、16日と二日間かけて、陸羽街道(奥州街道)歩きの前回の最終地点である宮城県の古川宿から岩手県の一ノ関宿まで歩いて来た。
この区間の旧街道の距離としては約54kmくらいになるだろうが、実際は道を間違えて行ったり来たりしたり、脇道にある史跡などを見たりしたため、実際には66kmほど歩いた。
さて今回のコースの古川宿を出てからは一ノ関宿に着くまでの間には、近くに鉄道の駅がなく、途中で鉄道の「駅」に出て移動すると言うことはまず難しいと言うコースだった。
そのため、一日だけ歩いて鉄道に乗って帰宅すると言うことは出来なく、やむなく一日歩いた後は近くで一泊し、そのまま二日目に突入すると言う形を取らざるを得ないと言うことになった。
奥州街道に限らず、江戸時代の五街道などは当時の幹線道路だったために、明治になってから鉄道が敷設されたり改めて国道が整備されていく中で、結果として幹線部分に敷設された鉄道に寸断されたり新たな国道として生まれ変わったりした街道は多く、そう言った意味では江戸時代の街道の雰囲気を現在に伝えている旧街道はかなり少ないと言うのが現状だ。
そう言う意味では、今回の旧街道のコースは、鉄道が近くを走っていないと言うことで、比較的旧街道が昔のまま残されている個所が多かった。
しかもラッキーだったことには、今回のコースのほとんどメイン部分を占めていた「栗原市」では、近年旧街道の保存に力を入れているようで、数年前に同じコースを歩いた人は歩けなかったような旧街道の部分も、今回は歩けるようになっていたところが多かったのだ。
「歩けなかったような旧街道の部分」と言うのは、現在では全く人が歩かなくなってしまったために、草木が生えてしまって道が道でなくなってしまったところなどだ。
実際、奥州街道を歩くための参考本としてはほとんど唯一と言っていい無明舎「奥州街道:歴史探訪・全宿場ガイド」には「今は通行できない」と言うように書かれてあったところが、何カ所も歩けるようになっていた。
これは、地元のボランティアの人達が、年に何回か集まって草木の生えている旧街道の草刈りを行ってくれていると言うことらしいのだ。
この話を聞いた時にはホントにありがたいと思った。
更には実際にその「最近歩けるようになった旧道」を歩いてみると、ポイントポイントに「旧奥州街道」と書かれた案内板が建っていたのだ。
と言う訳で、恐らく、、、
奥州街道の中では、日本橋を出発してから一番旧街道の雰囲気が残されているコースとなっていたのではないだろうか。
そんな訳で、今回の二日間でいよいよ宮城県から岩手県入りをした。
一ノ関と言えば、今年世界遺産に登録された平泉があるところだ。
いやぁ~~、
これからが、また楽しみだなぁ~~(^.^)
・・・
ところで、今回歩いたコースのレポートをしようと思ったら、10月に歩いた「仙台:芭蕉ノ辻から古川宿まで」をアップしていないことに気が付いた。^_^;
と言うことで、随分と間が空いてしまったが、改めて仙台からの記録をアップしつつの、順調に行けば今回のコースの記録のアップ、と言うことにしようと思っている。
いつになるんだろう~?、、、^_^;