その1:三島駅前から玉井一里塚まで
*昨年末の30日、箱根関所跡から三島宿までを歩いたので、新年早々の今年最初の三連休の中日の昨日は、その続きを歩いて来た。
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JR三島駅を出発したのは9時過ぎだった。
駅の入口のところには「郷土民謡 三島農兵節(踊り)」と書かれた小さな像が飾ってあった。
三島農兵節・・・
初めて見た名前だったが、その像も周囲に遠慮するかのように、ひっそりと飾られていた。
地元の文芸なら、もっと目立つように展示すればいいものを、、、^_^;
さて、出発!!
と思ったら、駅前の掲示板が目に入って来た。
その掲示板には指名手配写真が何枚か貼ってあったが、その中に一枚、写真に紙が貼ってあって、そこには「ご協力ありがとうございました。」と書かれてあった。
(どういたしました、、、何も出来ませんでしたが、、、^_^;)
それにしても、随分と早い対応だなぁ~~^_^;
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さて、まじめに出発!!
予定としては、JR東田子の浦駅まで歩き、体力と時間が許せば次のJR吉原駅まで歩くつもりだった。
まずは、前回の最終地点となっていた駅前通りと旧東海道が交差する「本町交差点」まで、、、
と、その途中に「圓明寺」に立ち寄った。
この寺の薬医門は、三島宿の樋口本陣の表門を移築したものと伝えられていると言う。
と言うので、まずはそれを見学するために立ち寄った。
三島が旧東海道の宿場町であったことを示す名残のひとつだろう。
それと、この寺には「孝行犬の墓」があった。
薬医門を潜ってすぎ右手だ。
そこには、犬の石造とその周囲に大小5つの丸い石の玉が配置されてあるのですぐにわかった。
その孝行犬の話は書くと長くなるので、興味のある方はこちらを参照ください。→
孝行犬の墓
旧東海道の「本町交差点」に出て街道歩きをスタートすると、その交差点の両側には江戸時代に「樋口本陣」と「世古本陣」があったことを示す石碑が建っていたが、現在は名残を感じさせるものは何もなかった。
そこから300mほど進むと「三島広小路」になっていて、そこから旧東海道とは離れて、「伊豆國分寺塔址」を見に行った。
聖武天皇によって全国に建てられた国分寺だが、その址が残っているのは珍しいだろう。
再び旧東海道に戻って進む。
「千貫樋」と言う戦国時代に造られた水道が残るところの近くで、旧道沿いに手書きの地図が掲示されていた。
そこには「東海道(新宿近郊) 新旧街道案内図」と書かれてあったが、かなり詳しくその周辺の様子が書かれていた。
地元の人が書いたんだろうか、その細かい説明にしばし見入ってしまった。
本町交差点から約2km進んだところで、道の右側に「玉井寺」、左側に「宝池寺」が建っていて、そこにはそれぞれ一里塚が残っていた。 江戸から29番目の一里塚だ。
玉井寺の方は昔の原型を留めているような感じで、宝池寺の方は造り直してあると言う感じだった。
また、その玉井寺には「白隠の遺墨」と言われる文字がいくつか残されていて、そのひとつが山門?の「金龍山」と言う山号を書いたものだと言うので、それを見に行った。
なお、白隠とは「白隠慧鶴」のことで、江戸時代中期に「駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠」と言われた、臨済宗中興の祖と称された高僧とのことだった。
知らなかったぁ~~、、、^_^;
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以下、続く・・・。