その3:「従是西 沼津領」の碑からJR東田子の浦駅まで
旧東海道を歩いて三島市から沼津市へ入ると、その先で「平作地蔵」、「一里塚」、「玉砥石」などの史跡を見て、沼津の中心地に入った。
そしてその先の大手町に入ると、旧街道の宿場町らしく「桝形」になっている旧道は左に曲がって「川廓通り」に入り、その先でもう一度左に曲がって、旧宿場の中心地へと入った。
沼津宿を歩くと、2001年に歩いた時にはなかった(はずの)旧宿場町のいくつかの碑が建っていた。
それは、本陣跡や脇本陣跡の碑で、本陣跡の碑は「高田本陣跡」、「間宮本陣跡」、「清水本陣跡」と三カ所もあった。
また、高田本陣跡の碑のすぐ近くには「中村脇本陣跡」の碑も建っていて、思わず見過ごすところだった。
と言うのも、旧東海道を歩く際に参考にしている「東海道五十三次を歩く(児玉幸多監修:講談社)」には、沼津宿のページに、本陣跡、脇本陣跡の案内は全く載っていなかったのだ。
恐らく沼津市で2001年以降に本陣跡や脇本陣跡の場所を特定して、予算をつけてその場所に碑を建てたんだろう。
それだけ旧東海道と言う存在が注目されて来たと言うことなんだろうが、いずれにしても、旧街道歩きをしている人達にとってはありがたいことだ。
さて、清水本陣跡の先で再び旧道は大きく右に曲がりその先で左折し、更にその先で右折すると言うまさに桝形を通ると、その先はほとんど一直線の道になっていた。
ほとんど一直線と言うのは、沼津宿を出た後の旧道は、駿河湾の浜辺に沿って次の「原宿」、更にはその次の「吉原宿」の手前まで、単調な一本道になっていた。
その旧道は、個人的には旧東海道の中で、歩いていて一番単調で刺激のないルートだと思っているが、その旧道のもう一本海側には、「千本松原」と呼ばれる景勝地が続いていた。
まぁ、旧東海道と言うことに拘らずに千本松原を歩いてもいいかもしれないが、一応?旧東海道を歩いているので、敢えて面白くない道を歩くことにした。
そうこうしながら沼津宿を出てから4km弱歩いて来たところで、JR片浜駅の手前の松長と言う地名の辺りに差し掛かった時に、一里塚の碑を発見した。
発見したと言うのは、これまた沼津宿の中で見つけた本陣や脇本陣の跡の碑と同じように、今まで見たことがなかったためだった。
いやぁ~~、沼津市様、、、ありがとうございます、、、m(__)m
さて、時刻はその頃午後2時近くになっていた。
昼食を摂らなくてはならない・・・。
と言うことで、その先のJR片浜駅近くの西友ストアー近くにあった「沼津 魚がし鮨」と言う回転寿司の店に入った。
沼津と言えば国内有数の漁港がある町で、海の幸は大いに期待出来た。
と言うことで、、、
時間的に入店したのが遅かったためか、ランチメニューは全て「品切れ」になっていたので、少々料金は高くて一人前1,280円だったが、回転物ではないちらし系の寿司を注文した。
いやぁ~~、
しかしこれが大正解!!
ネタはたっぷりで、美味しかったぁ~~!!ヽ(^o^)丿
もう、大満足!!
・・・
さて、、、
遅い昼食を終えて店の外に出ると、時刻は午後3時半になっていた。
これはまずいぞ・・・
ちょっとのんびりし過ぎたようだ・・・。
この日の目的地であるJR東田子の浦駅まではまだ約7kmあった。
時速3.5kmで歩いても2時間掛かることになる。
と言うことは、到着時間は午後5時半頃になるぞ・・・。
と言うことで、幸か不幸か、その先のルートではあまり見所のない一本道だったので、ちょっと急ぎ加減で歩いてJR東田子の浦駅に向かった。
そして、JR原駅を通り過ぎて「一本松」、「桃里」と言うところを過ぎた後、旧道はJR東海道線の踏切を越えた。
その先には「富士市」と言う表示が出ていて、そこを過ぎるといよいよ富士市に入った。
そして午後5時15分、、、
既に日は落ちて、辺りはほとんど暗くなっていた中で、何とかJR東田子の浦駅に到着した。
いやはや、、、
何だかんだ言って、結構歩いたなぁ~~^_^;