利根川に架かる五料橋を渡るとその先は群馬県伊勢崎市柴町で、江戸時代の「柴宿」となっていた。
橋を渡った先の交差点のところには、そこから利根川に沿って右手に向かう方向に「上武大学通り」と書かれた表示が出ていた。
上武大学と言えば、毎年正月に行われる関東陸連の箱根駅伝にここ数年出場している大学ではないか。
それまではあまり聞き覚えがなくて、「上武」と言うからには武州の上の方、即ち群馬県にある大学だとは思っていたが、こんなところでその名前に出くわすとは、ちょっと意外だった。
それにしても、小さいながらも通りにその名前が付くと言うくらいだから、地元ではさぞや有名な大学と言うことなんだろう。(地元の人にとっては失礼な書き方をしているかもしれませんがご容赦下さいませ。)
その交差点をまっすぐに500mほど進んだ右手には、柴宿の本陣跡があった。
そこは伊勢崎市の指定文化財になっていて、江戸時代は代々関根家が本陣の経営に当たっていたと言うが、「関根」と言う表札が掛かっていたので現在でも子孫の方が住んでいるようだった。
また、本陣跡の関根邸の前には例幣使街道の説明板が建っていた。
この後歩いていても所々でこのような例幣使街道に関する説明板を見かけたので、伊勢崎市?は、例幣使街道と言う歴史的な遺産にかなり力を入れているんだろうと言うことが想像出来た。
ところで、倉賀野駅を出発してこの辺りまで約15kmほど歩いて来たが、この頃少し足の裏が痛くなって来ていた。
これは2週間ほど前に新しい靴を履き始めた訳ではないのに左足の指に靴ずれが出来てしまって、それを庇って歩いたために他の指まで靴ずれが出来てしまった、、、そんなことがあって、それがまだ充分に治りきってなかった。
その影響かな?と思ったが、ちょっと左足の裏が全体的にビシビシとき始めていた。^_^;
そのため、本陣跡近くから左手に少し入ったところにある「柴町八幡」や「泉龍寺」に当初は立ち寄ってみようと思っていたが、それはやめてそのまま例幣使街道を先に進むことにした。
本陣跡のところから進むと国道354号線はその先の交差点で右折するが、例幣使街道はその交差点の少し先を右折し路地のような細い道を進んだ。
その細い道を300mほど進むと、先ほど別れた国道354号線と合流したが、その交差点のところに「雷電神社」が建っていた。
その合流点を左折して進むのが例幣使街道だが、本陣跡からの道筋が「大きく右折してその先で大きく左折する」と言う、いわゆる「桝形」になっているので、もしかしたらこの辺りが柴宿の東側の出口になっていたのかもしれないと思った。
例幣使街道は比較的真っすぐに進むところが多いので、特に周囲に何かの障害物や遮蔽物がないのにこのように桝形に曲がっていると言うのは、どうにも「わざと曲げて造っている」と考えられるのだ。
雷電神社が建っている交差点から先に進むとその辺りは「中町」と言う地名になっていた。
その名前からすると、宿場の中の「中程の町」と思われたが、更にその先の「堀口町」と合わせて、中町と堀口町は柴宿の加宿となっていたと言うことが資料(今昔三道中独案内)に書かれていたので、中町と堀口町(江戸時代の堀口村)が加宿となる前に柴宿が造られた際に既に桝形になっていたのではないか?と思った。
さて、その雷電神社のところから東へ700mほど進んだところで堀口町と言う交差点を越えたが、その頃時刻は午後1時を回っていた。
そんなことで腹が減って来ていてどこか適当な店があったら食事をしたいと思っていたが、なかなかそれっぽい店がなかった。
そんな時、左手に「上州名物焼きまんじゅう」と言う幟が立っている店があった。
焼きまんじゅう???、、、どんなまんじゅうかわからなかったが、腹の足しにでもなれば1個でも、、、と思ってその店に入ってみた。
すると、店の女性がちょうど隣りの家に届けるところだと言って、一本の串に4個の丸くて平べったい餅のようなものが刺さっているものを3~4串大きな皿の上に載せて出て来た。
それで、隣りの家まで届けて来るので、それまで待っててくれれば焼いてくれると言う。
さて、、、そこで、一本の串に直径8~9cm位もあるでかい餅のようなものが4個も刺さっているものをここで食べたら、それだけで腹が一杯になってしまうではないか!
それで、その餅のような平べったいものを1個だけ分けてもらうってことは出来ないのか?と聞いてみたら、バラ売りはしてないと言われてしまった。
それでやむなく焼きまんじゅうを食べるのは諦めた。
いやぁ~~、
上州名物の焼きまんじゅう、、、
今にして思えば、食べておきたかったなぁ~~^_^;
・・・
以下、続く・・・。