シナイアの町に入った後、バスはその先で急な登り坂をくねくねと曲がりながら進んで行き、周囲が針葉樹の森のようなところに入って行った辺りで止まった。
そしてバスから降りると、まずは「ペレシュ城」へと向かった。
*ペレシュ城:1875年にカロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として、8年の歳月をかけて建てた宮殿。ルーマニアで最も壮麗な城として称えられるほど美しい。
ペレシュ城はルネッサンス、バロック、ロココの各様式を取り入れたドイツ・ルネッサンス様式で建てられており、いくつもの彫刻、噴水が配された庭園からは、シナイアの渓谷が一望できる。宮殿内の部屋数は160はあるといわれ、各部屋には、カロル1世の集めた絵画、彫刻などの美術品m陶磁器、金銀、宝飾品や中世の武器などが飾られている。(「地球の歩き方」より)
ルーマニア王国初代国王のカロル1世はドイツ人だったと言うことからか、彼が造ったと言うペレシュ城はやはりドイツ風の建物だった。
城の入口から中に入るとそこは中庭になっていて、外側の壁のところには木組みの梁がしっかりと見えていた。
そこで暫く待ってから我々の入館の順番になったので、館内へと入って行った。
さてここでも館内のカメラ撮影は別途撮影料が必要になっていて、カメラは32レイ(約800円)、ビデオカメラは53レイ(約1,325円)となっていた。
32レイ、、、昼間のちょっと高そうなレストランで飲んだビールがチップ込みで10レイだったので、それなりのレストランでビールが3~4杯飲める料金と言ったところだろうか?^_^;
・・・
迎賓の間
入口を入ると「迎賓の間」になっていて、2階へ上がるには一方では中央に一カ所、反対側には左右に二カ所の階段があった。
それでまずは中央にある幅の広い階段を上がって2階へと向かうと、そこは「メインホール」になっていた。
メインホール
メインホールは3フロア吹き抜けで、天井部分はステンドグラスになっていて開閉式になっていた。
そのステンドグラスからは自然光を取り入れられるようになっているため照明なしでも明るかった。
そして、そのホールの周囲にはかなりしっかりとした感じの黒光りした木彫りの装飾が施されていたが、壁や欄干はすべてドイツ産の樫の木で造られていて、全て手彫りとのことだった。
その荘厳な雰囲気に、暫くは圧倒されてしまいホールの周囲の装飾に見入ってしまった。
その後メインホールを抜けて次の部屋に向かう通路のところには、左右に2体の甲冑姿の騎士像が立っていた。
それらは15世紀のドイツの騎士の姿と言うことだった。
武器の部屋
この部屋には、カロル1世が集めた甲冑や槍、刀剣などの武器が4,000点以上展示されていて、東ヨーロッパ一のコレクションとのことだった。
周囲の壁には、それらの武具や武器が掛かっていたが、それらは本物の武器とのこと。
また、鉄砲なども展示されていてそれらの武器・武具の時代もまちまちといった感じだった。
そして、部屋の一角には鎧に身を固めた騎馬とその上に跨った騎士の像が展示されていた。
それらは戦場での実践の際の様子を表した完全な甲冑姿の騎馬・騎士の像で、その甲冑の重量は騎士は35kg、騎馬は60kgの重さにもなったとのことだった。
日本の戦国時代の武士の甲冑が刀を含めてフル装備をすると20㎏くらいになると聞いたことがあるが、それと比べると如何に重いかと言うことだ。
と言うか、、、
35㎏もの甲冑を身に付けては、実践ではすぐにヘタってしまうだろうに。(*_*)
その騎馬像の後ろの窓にはステンドグラスがあって、それらはチェコの様式のステンドグラスとのことだった。
そう言えば、この城を設計したのはチェコ人のカレルリーマンと言う建築家だったとの説明があったので、それでチェコ風のステンドグラスが取り入れらているのか、と思った。
また、部屋の中央には暖炉があってその上には「ニコポリスの戦いのレリーフ」があった。
ニコポリスの戦いとは、
「1396年9月25日(9月28日とされることもある)に、ドナウ河畔のニコポリスでオスマン帝国のバヤズィト1世(在位:1389年 - 1402年)とハンガリー王ジギスムント率いるヨーロッパ諸国(参加勢力:ハンガリー、神聖ローマ帝国、フランス、ワラキア、ポーランド、イングランド王国、スコットランド王国、スイス原初同盟、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、マルタ騎士団)との間で起こった会戦。ニコポリス十字軍と呼称される場合もあり、中世最後の大規模な十字軍である。オスマン帝国側の圧勝で終わった(ウィキペディアによる)。」と言う戦いで、ルーマニアもルーマニア王国として成立する前の「ワラキア」が参加している戦いだ。
十字軍側が大敗を喫したと言うその戦いの様子をレリーフにして飾ってあると言うのはどう言うことなんだろう?
図書の部屋
ここにはかつて一万冊以上の本が置かれていたが、現在は大半がブカレストの歴史博物館に保管されているとのことだった。
また、窓のステンドグラスの中には「シグマリンゲン」と「ホヘンツェルン」と言う2つの城が描かれていて、これら2つの城がこのペレシュ城のモデルになっているとのことだった。
カロル1世の書斎
この部屋はこじんまりとはしていたが落ち着いた雰囲気の部屋で、大き目の机や家具などが当時のカロル1世の存在を感じさせてくれていた。
また壁には「カロル1世」と「王妃エリザベータと娘」の肖像画が掛けられていた。
オーケストラの部屋
以前は音楽室として使っていた部屋で、そこにはオルガンやハープが置かれていた。
イタリアの部屋
天井からは吊り下げられたシャンデリアはベネツィア産のクリスタル製で、壁には鏡が掛かっていた。
この部屋は他のずっしりとした重厚な感じの部屋とはちょっと雰囲気が違っていた。
鏡の部屋
資料には「トルコの部屋」と言う書き方がされていたのがこの「鏡の部屋」なんだろうか?
この部屋も、ドイツ風の部屋とは雰囲気が違っていて、大きな鏡が2枚掛かっていた。
その鏡は、通路を隔てた反対側から正面に見えていて、よく見ると反対側からその鏡を見ている自分達の姿が小さく映っていた。
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さて、我々の見学はイメージとしては、迎賓の間から入って階段を2階に上がって、メインホールからスタートして吹き抜けになっている周囲の部屋をぐるっと回って来て、2階に上がった階段の反対側の階段のところにやって来て終了、、、と言う感じだった。
見学時間は約50分。
見学はツアーのみで個人では見学出来ないようだった。
と言うことで、ペレシュ城の見学を終えてバスに戻ると、この日最後の目的地である「シナイア僧院」へと向かった。
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以下、続く・・・。