マダラを出発、ヴァルナに向かう
午後5時25分の頃、マダラでの騎士像と博物館の見学を終えると、その後は一路、黒海沿岸の町「ヴァルナ」へと向かった。
シューメンからヴァルナまではほとんど真東へ約150kmくらいの距離だったが、自動車専用道路を走って行ったので意外と速く着くことが出来た。
途中車窓からは、左手にドナウ平原が広がっていて、ルーマニアからドナウ川を越えて来ただけで、随分と景色が変わったと言う印象だった。
途中の自動車専用道路を走っている時に、「120」とか「90」とか「70」とか言う数字が書かれている丸い交通標識が道路際に見えたので、恐らく制限速度のことだと思ったが、路面状態はかなり悪くガタガタの道だった。
そんなガタガタの自動車専用道路を走っていると、数年ほど前にドイツに行った時に、自動車専用道路のアウトバーンをバスが走っていた時のことを思い出した。
それは、旧東ドイツだった地域のアウトバーンは路面がかなりガタガタだったが、旧西ドイツ側に入るとさすがにそのガタガタ状態はなくなった、と言うことがあったのだ。
ブルガリアも1989年までは社会主義の国だっただけに、こうしたインフラ関係の施設整備はまだまだ遅れているのかもしれない。
ヴァルナに入った
そして、マダラを出発して約1時間、、、
バスはヴァルナの町に入って来た。
*ヴァルナ:ヴァルナは、ソフィア、プロヴディフに次ぐ、ブルガリア第3の都市で、夏の首都とも言われている。 黒海沿岸の人口約35万人を擁する中核都市だ。 また、世界に開かれたブルガリアの海の窓口でもある。 黒海を運航する貨物船は世界中から集まって来る。 外国の船乗りが町を行き交い、国内外のバカンス客も集まり、夏の人口は一気に膨れ上がる。 7月にはヴァルナ国際バレエコンクールも開かれる。
ブルガリアで一番西欧風な町といわれ、比較的英語を話す人が多い。 ドイツ人の観光客も多いので、ドイツ語もよく通じる。 さらに、建物の壁などに表示されている通り名にはキリル文字にラテン文字が併記されている。
ヴァルナが湾岸都市として栄えるようになったのはオスマン朝治世下のこと。 それ以前も港町ではあったが、それほど大きな町ではなかった。 最初にこの地に住んだのはトラキア人で、紀元前585年には停滞時代を脱したギリシャ人が入植。 都市国家を築きオデッソスと呼んだ。 ローマ時代にはユークセイノスと改称され、要塞や浴場が建設される。 ヴァルナと呼ばれるようになったのは、アジア系ブルガール人が第一次ブルガリア帝国を打ち立ててからのことである。(「地球の歩き方」より)
ホテルに到着
午後6時30分、この日宿泊するゴールデンチューリップホテルに到着した。
ホテルは、鉄道のヴァルナ駅から200~300mのところで、黒海までも数百mのところに建っていて、客室からはその黒海が見えた。
ロビーにあったMINICARDとは
ホテルに入って添乗員のTさんとイリアナさんがチェックインの手続きをしている間にロビーを探検していると、「MINICARD」と書かれたものがあった。
小さなカードが何種類も掛かっていたので何かな?と見ると、そこには、表面にはヴァルナの町の公共施設や店舗などの名前が書かれていて、裏面には施設や店舗の地図が書かれていたカードだった。
クーポンでも付いているのかと思って見たが、見た限りではそれはなかった。
それにしても、地図が付いているこう言ったカードは、なかなか気が効いている。
こうしたカードは、このホテルのためだけに作られたものではなさそうなので、恐らく他のホテルにも置いてあるんだろう。
夕食
夕食は午後7時30分からホテルのレストランで摂った。
①ショプスカサラダ
白チーズがかかったブルガリアでは一般的なサラダ。
美味しかった!
②ビール
ブルガリアの代表的な銘柄の「ザゴルカ」が330mlでチップ込み3レフ(約150円)、「カーメニッツァ」が500mlで同じく3レフだったので、今日のところはザゴルカを飲むことにした。
もちろん、ビールの他にもグラスワインがあって、赤白それぞれチップ込みで4レフ(約200円)だった。
その他にもブルガリアの蒸留酒「ラキア」があって、同じく4レフだった。
いつかは飲むぞ、ラキア!。
③ポークステーキとフライドポテト
イスラム圏では食べることが出来ない豚肉も、こうやって食べられるのは嬉しいね。^_^;
④クリームエクレア
ブルガリアはオスマントルコ帝国の支配下にあった時代が長く、現在でも南部ではトルコと国境を接していると言う地理的な関係から、トルコ料理やギリシャ料理の影響をかなり受けていると言うが、これからどんな料理が出て来るか楽しみだぁ~!
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以下、続く・・・。