午後3時、プロヴディフのメイン通り「アレクサンダル・バテンベルク通り」と言う歩行者天国になっている通りを歩いて行く。
ブルガリア第二の都市のメイン通りにしては人通りが少ないが、それでもこの道を歩いていると、ここがヨーロッパの一部なんだと言うことを思い出した。
そんな雰囲気が感じられる通りだった。
その通りを500mほど歩いて行くと、「ジャマヤ広場」に出た。
そこから斜め右手には「ジャマヤ・ジャーミヤ」と言うモスクが見えるのでそう言う名前になっているんだろうか。
正教の国ブルガリアにジャマヤ・ジャーミヤ(金曜日のモスク)があったり、そのモスクの名前がついている広場あると言うのは少し違和感があるが、最盛期にはモスクは20あったと言う。
確かに、ブルガリアがオスマン朝の勢力下にあった時代があると言う事実と、今でも南に数百kmのところではトルコと国境を接していると言う事実から、モスクがあるのは不思議ではないのかもしれない。
しかしやはりそこは正教の国と言うことなんだろう、、、この町には、ジャマヤ・ジャーミヤ一カ所しかモスクはないと言うのが現状と言うことだった。
ちなにみ、このただひとつ残されたモスクは、
「14世紀にオスマン朝のスルタン(皇帝)だったムラト2世の治世下に建てられ(中略)、ダイヤモンド模様が美しいミナレットをもつこのイスラム寺院は、内部に泉がある。これはオスマン朝初期にのみ見られる極めて珍しい建築様式だ。(地球の歩き方」より)」と言うことだ。
また、その広場の下には「ローマの競技場跡」の一部が見えるようになっていた。
この競技場は2~3世紀に3万人を収容した闘技場で、近くにあった説明板に書かれていた図によると、現在のアレクサンダル・バテンベルク通りを挟むような形で二本の長いトラックが走り、ジャマヤ・ジャーミヤのところで一部が見えるように発掘されている部分が、その二本のトラックをつなぐ半円形の部分になっていた。
ちょうど、アルファベットの「U」の字の半円形の部分だ。
地下にそのような巨大な競技場の遺跡があることがわかっていると言うことは、一度全体を発掘したんだろうか。 そして再び一部だけ見えるようにして残りのほとんどの部分を埋め戻してしまったんだろうか?
それとも、古くからこの地には競技場があったと言う言い伝えや記録が残っていて、全部を掘り出さなくてもわかっている、と言うことなんだろうか?
その点が気になってイリアナさんに質問してみたが、今一納得できる答えが返って来なかったのが残念だった。
その後、ジャマヤ・ジャーミヤには立ち寄らず、その広場から丘に向かって坂道を登って行った。
すると、少し登ったところで、壁いっぱいに絵が描かれている建物があった。
なかなか見事な絵だったが、イリアナさんの説明によると、社会主義の時代には各都市毎にテーマをもった絵が描かれたと言う。
その建物はその名残なのかもしれない。
そして更に歩いて行くと、途中左手に大きな鐘楼がある教会が建っていた。
その教会は「聖処女教会」で、隣りにはイコンの傑作があり、教会の内部の壁画も美しい、と「地球の歩き方」には書かれてあったが、ここにも立ち寄らず脇を通って丘の上へと向かった。
その辺りから、周囲の雰囲気は旧市街っぽくなっていた。
坂道の路面は石畳になっていて、18~19世紀に造られたものだと言うことだった。
そして、19世紀の音楽学校と社会主義時代に建てられた音楽学校の間を抜けて行くと、その先で急に視界が広がった。
そこには、ローマ時代の円形劇場があった。
*ローマの円形劇場跡:旧市街(トリモンティウム)の断崖にある、ローマ時代の半円形の劇場跡。 遠くにロドピ山脈も見える抜群のロケーション。 3000人が収容できる大変立派な劇場で、保存状態はとてもいい。 現在も夏は野外劇場が催されている。 座席からは中央広場もよく見える。(「地球の歩き方」より)
イリアナさんの説明によれば、この劇場跡は偶然に発見され1970年代に発掘されたもので、紀元前2~3世紀の頃のものだそうだ。
ギリシャ建築の様式で建てられ、バルカン半島では最大のもの、現在は3000人が収容できるが、当時は6000人が収容できたと言う。
また、座席の石に文字が刻まれていることから、指定席があったことが分かると言うことだった。
イリアナさんの説明が終わった後、20分ほどのフリータイムになったので、劇場跡の下まで降りて行った。
今までこのようなローマ劇場の跡は、トルコやシリアなどの中東地域や北アフリカの地中海沿岸地域でいくつも見て来たが、ほとんどの場合、「劇場を建てた」と言うよりも、「山肌を削ったり掘ったりして劇場を造った」と言う方が正しいように思った。
それは場所によっては海岸線の丘陵地帯であったり、内陸地であっても丘の一部を削ったりと言うことで、それほど労力を掛けないで造っているように思えた。
それはここプロヴディフでも同じで、丘をうまく利用して半円形の座席部分を造って、眺めのいい見晴らしのきく劇場にしているようだった。
それにしても、ツアーの他の人達は?と見ると、ほとんどの人達は劇場部分には降りてこなかったようで、下まで降りて来たのは他に添乗員のTさんくらいだったようだ。
それで、せっかくなのでTさんにお願いして写真を撮ってもらった。
そうこうしているうちにあっという間に集合時間になってしまい、慌てて階段を登って上へと向かった。
しかしその階段、一段一段の段差が高くて、登るのに苦労してしまった、、、^_^;
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以下、続く・・・。