午前10時40分過ぎ、上野田の交差点を過ぎて進むと、相変わらず幸手の方からこちらに向かって走って来る右側の車線は渋滞が続いている。
この様子だと、午前中に東武動物公園に着くのはどうなんだろう?
その先で白岡市から宮代町へと入った辺りで、東武動物公園に向かっていると思しき車の渋滞は漸く解消されて来た。
しかし、その後も続々と向こうから右側の車線の車はやって来る。
彼らはその先に待ち受けている渋滞を知らないんだろうなぁ~~。
その先左手には「西粂原鷲神社」が建っている。
境内には日光御成街道についての案内板が建っていて、そこには「日光御成道絵巻」での久米原村周辺の様子や鷲明神が描かれている。
そこに描かれている鷲明神と言うのが、現在の西粂原鷲神社なんだろう。
当時の様子が伺えてなかなか興味深い。
その先、備前堀川に架かる「国納橋」と言う小さな橋の手前左手には、青面金剛像が建っている。
なかなかしっかりとしている石像だ。
その先で、旧道は東武伊勢崎線の線路を越える。
県道85号線との交差点「和戸」を越えてそのまま直進すると、その先で備前前堀川が大落古利根川に合流している所に架かる「和戸橋」を渡って、杉戸町に入る。
その橋を渡った交差点の角の所には、よくわからない書体で何と読んだらいいのかわからない文字が刻まれた石碑が建っていた。
側面を見ると、「右すぎと道」「左さって道」と「下高野」と言う文字が読み取れたので、恐らく道標なんだろう。
和戸橋を渡ってから500mほど進むと、右手に一里塚が見えて来る。
これは下高野の一里塚で、西側の塚は大正時代初期に道路の拡張工事で壊されてしまったらしく、現在は東側だけが残っていて、埼玉県の指定史跡になっている。
ここにちょうど感じの木陰が出来ていたので、腰を下ろして軽い休憩を取った。
江戸時代の旅人も、一里塚で同じように休憩を取ったんだろうなぁ~~。^_^;
小休止を終えて、下高野一里塚から800mほど進むと、前方にかなり大きな松の木が見えて来る。
その松の木は、日光御成街道時代に整備された松並木の名残で、旧街道の松並木の雰囲気を残す数少ないものの一つになっていると言う。
そう言えば、西粂原鷲神社にあった絵図には、街道沿いに杉並木と松並木の絵が描かれていた。
そしてそこから600mほど進むと、幸手市に入る。
漸くの幸手市だ。^_^;
その先400mほど進むと、頭上に建設途中と思しき道路が現れる。
それは、圏央道の白岡菖蒲と久喜白岡間の区間と言う。
その300mほど先で、真っ直ぐに進む旧道から左に道が分かれる交差点がある。
その手前左手角の所に、幸手市指定史跡の道標が建っている。
正面には「馬頭観世音菩薩」と刻まれているが、左側面には「右 日光 左 い◎つき」と刻まれている。
◎の部分の文字は、「わ」なんだろうか?、それで「いわつき」と読むのか?
さて、時刻は午後0時20分過ぎ。
その交差点を過ぎて200mほど進むと左手に「ベルク」と言うスーパーが見えて来る。
そのスーパーが建っている場所に右手から向かって来る道が、日光道中で、そのベルクの前が日光道中と日光御成街道の合流地点になっている。
と言うことで、最後は何だかやけにあっさりとゴールしてしまったような感じだ。
^_^;
こちらの道が日光道中。
この場所には2005年に日光道中を歩いた時に一度通っているはずだが、あれから8年経っていると言うこともあってか、すっかり忘れてしまっていた。
・・・
日光道中に合流した後は、そのまま日光道中を歩いて東武幸手駅に向かった。
日光御成街道と言うひとつの街道を踏破したことと、半日歩いて暑かったと言うことで、駅前で一人祝杯を挙げた。ヽ(^o^)丿
・・・
さて、この後は午後3時までに渋谷のハチ公前に行かなくてはならない。
いやぁ~~、
何とか間に合いそうだ!(^_^)v