午後1時、「こだわりとんかつ たやま」で、今一のカツ丼を食べて店を出た。
今一と言うのは、多分その時暑さと疲れで食欲がなかったことがあって、美味しく感じなかったと言うことだ。
疲労には豚肉のビタミンB1が効くと聞いたことがあるので、街道歩きをしている時にはよく豚肉料理を食べるようにしているが、この時はそれ以上に身体が参っていたようだ。
それだけ、真夏の街道歩きは身体に堪える、と言うことなんだろう。
さて、店を出ると、雨は止んでいた。
これは思惑通りだった。^_^;
店を出て歩き始めると、店に入る前の歩道上にあった絵陶器が、更に続けて並んでいた。
それを辿るように歩いて行くと、その先に「石岡一里塚」があった。
この一里塚は、両側一対で残っていて、東側の塚の上には江戸時代からの榎も残っていると言うことで貴重な一里塚だと言う。
西側の塚にも榎は残っていたが、平成14年7月の台風で倒木してしまったため、現在は二代目の榎の苗が植えられていると言う。
これからも、大切に残して行って欲しいと願う。
さて、その辺りは「杉並」という地名表示になっていて、江戸時代にあった水戸道中の杉並木をそうした地名で残していると言うのは、実に嬉しいことだ。^_^;
その後約1kmほどほとんど真っ直ぐに続く道を進むと、目の前に「ソントン食品工業」と言う看板が現れた。
ソントンと言えば、比較的リーズナブルなジャムなどを製造販売しているあの会社ではないか?
その会社の工場がこういうところにあったとは・・・。
ま、どこにあっても不思議ではないが、旧道歩きをしていると、思わぬところで思わぬ会社や工場に出くわすことがある。
これもまた、旧道歩き、街道歩きの楽しみの一つだろう。^_^;
更に600mほど進むと、県道52号線は右手に曲がって行くが、旧道は県道から分かれてそのまま真っ直ぐに進む。
その先「行里川」の集落を進んで行くと、その先「行里川北」交差点で先程分かれた県道52号線と交差する。
旧道はその交差点を突っ切って進む。
すると、その先で旧道は「小美玉市」に入る。
小美玉市と言うと、何となく妙な名前のように感じるのは私だけだろうか?
と言うか、小美玉市と書いて、「おみたまし」と読めるだろうか。
実は・・・。
私の母の実家は「おかめ納豆」の本社がある茨城県東茨城郡小川町だったが、数年前に法事があって母の実家に行った時に、その時東茨城郡小川町は小美玉市になってしまっていて、小川町はなくなったと言う話を聞いた。
そのなくなったと言う原因が例の自治体の合併で、「小川町」「美野里町」「玉里村」の三町村が合併して、その頭一文字をとって「小美玉市」と命名されたと言うではないか。
それを聞いて違和感があったが、まぁしょうがない。
それにしても、この辺りでは古墳時代の遺跡が出土されていて、勾玉などを造る工房なども出土されていて、そこから「玉造(たまつくり)」と言う地名もあるほどだから、「玉里」と言う地名も本来は残しておいて欲しいと思うのだが、、、残念なことだ。
そんなことで、小美玉市に入ると何となく親近感が感じられるようになった。
もしかすると、その気になればここから歩いて母の実家まで行けるのではないか、、、そんなことを思いながら進んだ。
その先暫く道なりに進んだが、どうにも人通りはほとんどなく車の通行もほとんどない。
旧道に関する史跡や遺跡もなく、ただ前に向かって歩くばかりだ。
空を見れば空模様はますます怪しくどす黒い雲が低い位置で流れている。
その先で、「小美玉市竹原」と表示された標識が建っていた。
ここからが竹原地区と言うことか。
竹原は府中宿の次の宿場「竹原宿」があったところと言うことで、竹原宿に入ったと言うことなんだろう。
が、雰囲気的にもそれを感じさせるものは何もなかった。
と思っていると、その先の交差点の角には久々に道標が建っていた。
そこには「従是~」と書かれていたが読めたのはそこまでで、それ以下の行先が読めなかった。
また別の面には「明和七年~」と刻まれているのがはっきりとわかった。
と言うことで、この辺りでは数少ない街道時代の名残なんだろう。
さて、その辺りで、気にしていた雨が降って来た。
いやぁ~~、またまた降って来たかぁ~、、、
と言う思いだったが、正直言って、天気予報をあてにして傘を持たずに来ていたので、雨に降られたらどうしようもなかった。
それでとにかく急いで先に進むと、その先で国道6号線に突き当たる「竹原」の交差点に出た。
その交差点を左に行くのが旧道で、国道6号線に出ればいろいろと道路沿いに建物も建っていたのでその中の一軒の建物の軒先を借りて雨宿りをすることにした。
・・・
以下、続く・・・。