定刻より若干遅れた午前8時10分に我々を乗せたバスがホテルを出発すると、そこから一路バルト海沿岸の町「グダンスク」に向かって走った。
ワルシャワからグダンスクまでは約350kmと言うことで、実質的には、二日目のこの日は、マルボルク城の見学を除けばほとんどが移動と言う一日だった。
ワルシャワを出ると、まずはヴィスワ川に沿って走った。
このヴィスワ川はポーランドで最長の川で、全長は1,047km、流域面積はポーランド国土の60%以上に及び、ポーランド国内を大きく蛇行しながら北へ流れ、バルト海へと注いでいると言う。
と言うことで、この後ポーランド国内を移動して行く中で、何度もこのヴィスワ川に遭遇した。
ホテルを出て暫く走ると朝の渋滞で道路が混んでいて、ワルシャワ市内を抜けるのに多少時間が掛かった。
が、そこを抜けると、国道7号線(多分、「国道」と言う意味だと思うが、地図上では幹線道路のように表記されていた)で、まずはオストーダを目指した。
とここで、、、
ポーランドの地図を見ると、道路の表記が二重になっているものが結構あった。
例えば、国道7号線は四角い赤色の枠の中に白文字で「A7」と書かれてあったが、同じ道路に四角い緑色の枠の中に白文字で「E77」とも書かれていた。
このような道路は他にもたくさんあったので、それが一体何を意味するのか、わからなかった。
(添乗員のIさんに聞いても今一納得行く答えではなかった。)
その後、午前9時50分の頃トイレ休憩と言うことでをドライブインに立ち寄った。
そのドライブインでは、コッペパンのように長いパンの中をくりぬいて、そこにマヨネーズやケチャップを流し込み、最後にそこにソーセージを入れる、と言うファーストフードのような食べ物を販売していた。
現地の普通の人達はこう言ったものを食べるんだろうな?
見ていて、おもしろそうだし、美味しそうに見えた。
ドライブインを出発すると、オストーダに向かいオストーダに入ると近くの農園風のレストランで昼食を摂った。
実は、この頃から気温はかなり下がる始めていて、ジャケットを着始めた人もいた。
食事を終えると再びバスに乗って、マルボルクへと向かった。
そして、午後2時を回った頃、マルボルクの街に入った。
さてここで、、、
世界遺産に登録されているマルボルク城を知るには、まずはマルボルクの町のことに触れておく必要があると思うので、「地球の歩き方」からその部分を引用する。
*マルボルク:13世紀、モスクワ大公国がはるか東方に位置していた時代、ポーランドは広大な領土を誇っていた。しかし、やがて始まるドイツ人の東方植民などにより、領土の侵食や住民のドイツ化が徐々に進んでいく。14世紀に入ると、バルト海一帯に勢力をふるうドイツ騎士団が大きな脅威となり、ポーランドは次第に危機にあえぐようになる。その後15世紀に入ってからの発展期にもこの騎士団の存在は大きく影響したのだが、ついに1410年、同様に脅威を受けていたリトアニアとポーランドの連合軍がポーランド中北部のグルンヴァルドでドイツ騎士団と戦うことになる。
その際騎士団側の防衛の要衝となったのが、グルンヴァルドの北方60kmに位置するマルボルグ城だった。戦いは両国の連合軍が騎士団に大勝、ポーランドはヨーロッパの大国に成長していく。精強で知られたドイツ騎士団は、1525年にはポーランドに臣従するプロイセン公国になった。(「地球の歩き方」より)
この頃のヨーロッパ史については、私が習った世界史の授業の中では触れてなかったと思う。
なので、正直、ドイツ騎士団とか聞いても、何が何だかよくわからないと言うのが実情だった。
ただ、昨年リトアニアを訪れた際、リトアニアの歴史の中で、ポーランドと連合王国を作ったと言うことを知ったので、その話が今回マルボルクにやって来て結び付いたと言う思いだった。^_^;
それにしても、ドイツ騎士団とは何ぞや?
が、これについて触れると長くなるので止めておく。^_^;
さて、それでマルボルク城に着いた。
そしてバスから降りると、ものすごく寒かった。
まさかこんなに気温が下がるとは思ってもみなかったので、せっかくのマルボルク城の見学だったが、とにかく寒いことに頭が行ってしまい、城の中の見学の際でも、場内にいる時は寒さも和らいだが、一歩外に出ると寒くて、それが気になってしまったと言うのが実情だった。
画像に写っている現地の学生の姿を見れば、寒いと言う様子がわかってもらえると思う。^_^;
さてそれでマルボルク城に着くと、現地ガイドのクリスティーナさんが待っていた。
このように、ポーランドでは訪問した町毎にガイドさんがいたので、通しのガイドさんと言う形ではなかった。
そして彼女は英語でのガイドをしてくれたので、それを添乗員のIさんが日本語に訳してくれて聞くと言うことで城内の見学が始まった。
それでまず押さえておかなければならないことは、このマルボルク城は、レンガで出来ている城としては世界最大の城だと言うことだった。
しかしそんな城も、第二次世界大戦の際にはドイツ軍の爆撃で破壊されてしまったと言うのだ。
ドイツ騎士団の拠点となった歴史のある城を、ドイツ軍が爆撃する・・・。
何とも言えないことだが、その城をポーランドは復元して世界遺産に登録されることになったのだからすごいことだ。
これは場内に掲示されていた写真で、1945年当時の、ドイツ軍による爆撃で破壊された城の様子だ。
そして中に入る。
堀の跡がある。
現在は水がないが当時は水がある堀で、この堀を含めて四重の堀が造られてたと言う。
そしてこの堀に湛えられていた水は、38km先から引いていたと言う。
城の中に入ると現在は博物館として公開されていて、騎士団長の館や食堂、フレスコ画が描かれている部屋や礼拝堂、夏の晩餐室や謁見の間、冬のダイニングルームなど、見所が満載だった。
とは言っても、、、
先にも書いたが、世界史の授業では恐らく習っていないような内容で、世界遺産に登録されているからと言うことで見学した城だったが、今一ピンとは来なかった。
これは恐らく、外国人が日本に旅行に来て、世界遺産に登録されているからと言っていきなり姫路城を見学した時に感じる気持ち(それがどんな気持ちかわからないが恐らくと言うことを想像して・・・)と似たようなものなのかもしれない。
でも、それはやむを得ないことだろう。
そして、午後5時過ぎ、マルボルク城を出発して、グダンスクへと向かった。
グダンスクのホテル「ポセイドン」に着いたのは、午後6時の頃だった。
いやぁ~~、
それにしても、ホテルに入ってからも何だか寒くて寒くて、と言った感じで、これほど気温が上下するものなのかと、改めてヨーロッパの気候に驚いてしまった。(*_*)
・・・
以下、続く・・・。