グダンスク運河(この部分は、旧モトワヴァ運河と言うらしい)のほとりにある「Gdanski Bowke」で昼食を摂った後は、午後2時からグダンスク運河のクルーズ船に乗った。
意外に昼食に時間をかけていたようで、デザートを食べた後トイレに行ったり別料金の飲み物の代金の清算を済ませた人は外に出て、各自でクルーズ船に乗って下さいとの案内があったので店の外に出ると、ちょうど店の斜め前の運河に昔の帆船風のクルーズ船が停まっていた。
そのクルーズ船は午後2時に出港すると聞いていたが、その時時計を見ると午後1時55分だった。
(大丈夫なのか?皆乗れるんだろうか?)
と思いながら乗船すると、船内には客が一杯で席はほとんど空いていない状態だった。
席は船内とデッキの上にあったので、取り敢えずデッキの上に出たが、外はかなり寒かった。
デッキの上に座っていた客はほとんどが中学生か高校生くらいの少年少女達だった。
そんな中でも少しは席が開いていたので、何とか席に座ることが出来た。
出港するくらいのタイミングで、船内にはポーランド語とドイツ語と英語で次々に何やら放送があった。
その直後、スピーカーから聞こえて来たのは、我々の添乗員のIさんの日本語による案内だった。
そうしてクルーズ船は出港して行ったが、その後はポーランド語とドイツ語、英語、そして日本語でてきぱきとした感じで次々に名所の案内が行われて行った。
出港してすぐに左手に見えて来た黒い大きな建造物は、木造のクレーンと言うことだった。
以前は数基あったらしいが、現在残っているのはこの一基だけらしい。
しかし、このクレーンのがこの町が港湾都市であることを改めて感じさせてくれた。
船の上では幸い雨には降られなかったが、風が強く寒さとの戦いと言った感じのクルーズだった。
近くにいた多分ポーランドの生徒達の中には、毛布を借りて来て身体に巻いている人もいた。
その後寒さの中で運河の右手、左手に次々と現れる倉庫や工場などの説明があったが、正直なところほとんど記憶に残らなかった。
約40分のクルーズの後船が着岸したのは朝方立ち寄った、ヴィステルプラッテだった。
そう言えば、正面の丘の上には朝見たモニュメントが建っていた。
クルーズ船はここから再び出港した場所まで戻ることになっていて、当初の予定では我々はそのまま乗船して出港した場所まで戻ることになっていた。
が、船の上があまりに寒いために、予定を変更して、ヴィステルプラッテまでバスに迎えに来てもらい、バスに乗って出港したところまで戻った。
何とも、それくらい寒かった。
同じ船に乗っていた少年少女達もほとんどが下船していたようだった。
そしてそこからは旧市街観光を行った。
旧モトワヴァ運河に架かるジェロニー橋の上に立つと、先ほどクルーズ船に乗船したところに、クルーズ船が停まっているのが見えた。
そしてその先左手には木造クレーンも見えていた。
そのジェロニー橋を渡った正面に建っているのが「緑の門」だ。
この門は緑色の漆喰を使っていたからこう呼ばれていると言う。
そして、この門を潜った先がグダンスクの旧市街だ。
緑の門を潜って振り返ってみると、4つある通路のそれぞれの上に別々の紋章が彫られていた。
それは、右から
①グダンスクの町の紋章
②ポーランド王室の紋章
③プロシアの紋章
(ユニコーンが描かれている)
④プロシア王室の紋章(ヘラクレスが描かれている)
ひとつの門に描かれている紋章が、お互いに敵対関係があって、土地を取ったり取られたりしたポーランドとプロシアのものであることが、何とも興味を惹いた。
・・・
以下、続く・・・。