午後4時35分、ケチケメート(→)のホテルに到着した。
ケチケメートは、ハンガリーの国土を東西にほぼ三分割する形で流れるドナウ川とティサ川の間に位置し、ハンガリーの国土全体の56%を占めると言う
ハンガリー大平原(→)の中にある町だ。
中世の頃から周囲では農業が栄え、現在ではベンツの組み立て工場があり産業的にも成功した町だと言う。
今回のツアーに申し込んだ時には、この日宿泊する町はこのケチケメートかカロチャか未定になっていたので、当初からこの町は宿泊するだけの町のようだった。
しかし、ケチケメートはハンガリー特産の蒸留酒パーリンカの中でもこの町名産のアンズを使った「バラツク・パーリンカ」が有名だと言うので、最終的な日程表が届いた時にこの日の宿泊地がケチケメートになっていたことを知り、チャンスがあったら是非買いたいと楽しみにしていた。
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予定より約30分早いホテルへの到着と言うこともあって、日程にはなかったがホテルのチェックインの後、ガイドのエヴァさんが夕食前にケチケメートの市内を案内してくれることになった。
ホテルは町の中心地と思われるコシュート広場に面して建っていたので、市内散策するには便利だった。
これは、広場にあったモニュメント?で、ケチケメートからいろいろな都市までの距離が表示してあった。
何と、その中には日本の青森までの距離が表示されていて、8670kmとなっていた。
地球の約1/4の距離だ。
青森はケチケメートと姉妹都市と言うことらしいので、それで表示されていたようだが、随分と遠くまで来てしまったなぁ~~と改めて感じた。
これは古い教会。
古いから古い、のではなく、「古い教会」と言う名前のカトリック教会で、バロック風と新古典風の造りだと言う。
これは市庁舎。
19世紀のアールヌーボー様式で、レヒネルと言う有名な建築が設計したと言う。
ケチケメートでは19~20世紀に若い建築家が活躍し、ユニークな形の建物が数多く残されていると言うが、この市庁舎もそのひとつのようだ。
正面の上部には紋章の中にヤギが描かれていたがそれは市章で、ケチケメートの「ケチケ」は「ヤギ」のことらしい。
ポーランドと言いハンガリーと言い、ヤギはよく紋章に使われるモチーフだ。
それだけ生活に密着していた家畜と言うことなのかもしれない。
これは市庁舎の反対側にあるプロテスタントのカルヴァン派の教会。
手前に立っているのは、広場の名前にもなっている19世紀のハンガリー王国の革命家コシュート・ラヨシュの像だ。
このコシュートの像は、前日宿泊したペーチでも見かけた。
これは聖ミクローシュ教会。
これは「1956年の碑」。
この年の10月25日から11月4日までの2週間、ケチケメートは地方都市の中では最大規模のデモが起こり、何人もの人が殺されたと言う。
広場の中には、ベンツの車も展示されていた。
ケチケメートにとっては、ベンツ様様と言うことなんだろうか?
これは昔のシナゴーグで現在は技術博物館になっていると言う。
と言うことは、この町にもそれなりの数のユダヤ人がいたが現在はほとんどいなくなっていると言うことなんだろうか。
と言うことで市内を散策したが、ただ泊まるだけでなくて良かった。^_^;
通り過ぎるだけではもったいない町だ。
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以下、続く・・・。