公称11日間のハンガリーツアーもいよいよクライマックス、ブダペスト市内でのフリータイムとなった。
ブダペスト市内で恐らく一番評価の高いレストラン「グンデル」での昼食を終えると、時刻は午後2時10分を回っていた。
中欧の10月初旬と言う季節では午後6時を過ぎれば辺りはかなり暗くなっている頃だった。
そのため、「午後はフリータイム」とは言っても時間的に半日たっぷりとある訳ではなく、明るいうちに散策出来る時間はせいぜい3時間半強と言ったところだった。
さて、ブダペスト市内の見所の一つに「国立オペラ劇場」があった。
この国立オペラ劇場はネオルネッサンス様式の建物で見るだけでも充分価値があり、テレビの旅番組で紹介されているのを見たことがあった。
そんなこともあって、この国立オペラ劇場を見学したいと言う人が何人かいたようで、午後のフリータイムの際に添乗員のSさんが希望者を引率してくれると言うことになった。
劇場内では見学ツアーがあって、日本語によるツアーもあるようだったが、この日は日本語によるツアーはない日だったため、英語によるガイドツアーに参加して添乗員のSさんが通訳の形で案内してくれると言うことのようだった。
その国立オペラ劇場は英雄広場から真っ直ぐに伸びるアンドラーシ通りをドナウ川の方に向かった先にあったため、昼食の後はほぼ全員でアンドラーシ通りを歩いて国立オペラ劇場の方に向かうことになった。
さて私は、、、。
国立オペラ劇場も見学したかったが、あれこれと他にも行きたいところがあったのでその見学ツアーには参加せず、途中で皆さんとは分かれることになった。
そして私がまず向かったのは、アンドラーシ通りを国立オペラ劇場から数百m先に行ったところにある「聖イシュトヴァーン大聖堂」だった。
*聖イシュトヴァーン大聖堂:ブダペスト随一の大聖堂。その巨大で威厳ある建物の大きなドーム型の屋根は、王宮の丘からペスト側を眺めた時にも目につく。ドームは直径22m、高さ96mで大聖堂の収容人数は8500人に及ぶ。建設には約50年を費やし、その間に建築監督を務めたのは3名。(中略)1905年にようやく完成した。
大聖堂の名前になっているイシュトヴァーンは初代ハンガリー国王。彼の祖先は、アジア系の遊牧民族である。キリスト教を受け入れ国教とすることで、ハンガリーをヨーロッパの一国として位置づけ、国内統一をはかった。1083年に聖人となり、ハンガリー建国の父として歴史に刻まれている。(「地球の歩き方」より)
高さ96mと言うのは、マジャル民族がハンガリーに進出して来た「896年」にちなんだもので、国会議事堂の高さも96mと言うことだった。
ブダペストの街並みが美しいのは、このように高さの点で上限が96mに抑えられていると言うこともその理由の一つとしてあるのかもしれない。
さて今回の旅では途中で充分なフリータイムがなかったので、高いところに登る時間がなかった。
そのため、このフリータイムではこの大聖堂の展望台に是非とも登ってみようと思っていた。
やはり、登ることが可能な建物がある場合は、出来るだけ登ってみたいものだ。^_^;
と言うことで、堂内の見学よりもまずは展望台へ、、、。
展望台には一人500フォリントでエレベーターで昇れるようになっていたが、出来れば歩いて登りたかった。
自分の足で登ると、登った~!と言う実感が沸くものだ。
それで入口のところで係りの人に聞くと、「500フォリント」と言うではないか。
「エレベーターではなく階段で行っても?」と聞くと、同じく「500フォリント」との答えだった。
要は、手段を問わず展望台に行くのには500フォリント(約250円)掛かると言うことのようだった。
それで500フォリントを支払って、階段を登って展望台を目指した。
ところで、階段ではなくエレベーターで昇る場合でも展望台までは行かないようになっていて、ドームの辺りからは階段だけで登るようになっていた。
そして登り始めて約5分、ドームの外側にある展望台に出た。
いやぁ~~、
やはり高いところは周囲の様子がよくわかっていいねぇ~~。^_^;
ドナウ川の向こうには王宮の丘も見えていた。
真下には斜めにアンドラーシ通りが走っているのもよく見えた。
その展望台はドームの外側に通路が出来ていてその周りをぐるっと周れるようになっていた。
それでしばしその通路を散策しながら展望台からの景色を堪能した。^_^;
*ドームの内側
・・・
展望台から降りた後は、大聖堂の中の見学をした。
ここは大聖堂の主祭壇。
中央にはキリストではなく、聖イシュトヴァーンの像が置かれている。
ステンドグラスがいくつかあったが、これはハンガリー王家の王冠をデザインしたものだ。
堂内の奥には「聖なる右手の礼拝堂」があった。
そこには、小さな聖堂の形をしたガラスのケースがあって、その中に聖イシュトヴァーンの右手のミイラが安置されていた。
ところが最初、それが何なのかよくわからず、せっかくなので写真を撮っていると、その後それを照らしていたライトが消えてしまった。
一体どうしたものか?と思っていると、近くにいた旅行者風の男性に何か教えるように話をする人がいて、その後その旅行者風の男性がガラスケースの近くにコインを投入した。
すると、暗くなったガラスケースが再び明るくなった。
よく見るとその近くに説明書きがあって、そこには恐らくハンガリー語と、英語とドイツ語と、それとよくわからないがフランス語?とロシア語?で同じ内容と思われることが書かれてあった。
それによると、
「100フォリント硬貨なら2枚、200フォリント硬貨なら1枚、0.5ユーロなら2枚で、2分間照明が点きます」
と言うことが書かれてあった。
なるほど、、、そう言うことだったのか。
それにしても、その説明書きには、「2×100フォリント」とか「1×200フォリント」と書かれていた。
細かいようだが、答えは同じでも意味から言うとこれはおかしい。
正しくは「100フォリント×2」とか「200フォリント×1」と書かなければいけないだろう。^_^;
それにしても、1000年前の建国の父である国王の右手のミイラが安置され公開されているのには恐れ入った。
・・・
以下、続く・・・。