第一~二日目 3月9日(日):その3
ヨルダンの第一歩
(まずはネボ山に向かう)
初日のこの日は、空港を出た後はマダバと言う町を通り、ネボ山で下車して観光をした後は、一路、ヨルダン南部でヨルダンで唯一ある港町のアカバに向かうことになっていた。
午後0時20分の頃、アンマンから南西に下ったところにあるマダバと言う町を通過した後は、
キングスハイウェイと言われる道を通ってネポ山に向かった。
キングスハイウェイはマダバの町を通り過ぎると徐々に高度を上げていき、辺りには荒れた山々が見えるようになってきた。
そして、午後0時半を過ぎた頃、バスはネボ山に到着した。
*ネボ山について
ここは、モーゼがエジプトを出てシナイ山で神に十戒を得、40年砂漠をさまよって辿り着いた地。
ここから空気が澄んでいる日にはエルサレムまで見ることができる。そこが神が約束した「乳と蜜が流れる地」カナンである。
ネボ山の一番高い頂、ピスガの頂(710m)にはモーゼの杖のモニュメントがある。モニュメントはキリスト、ユダヤ、イスラムに共通するために十字架ではなく蛇が巻き付いたモーゼになった。
2,000年にこの地を訪れたヨハネ・パウロ2世は聖ジョージ教会→ネボ山→エルサレムの順に巡礼した。
モーゼは神の怒りに触れたためカナンの地を踏むことができず、カナンを臨むこの地で120歳で亡くなったとか・・・
すぐ近くにはビザンツ時代のモザイクで有名なモーゼのビザンツ教会がある。(現在修復中)(添乗員さんからの資料による)
ヨルダンに入って最初の観光地ネボ山。
バスを降りて歩いて行くと、入口である門のところには警備をしている係りの男性が地面に座っていた。
そこから中に入ると、少し歩いたところが見晴らし台のようになっていて、そこにはこの
ネボ山から臨めるビューポイントを示す案内図が書かれていたが、残念ながらガスが出ているのか砂で霞んでいるのか、空気が汚れているのか、いずれにしても遠くの景色は霞んで見ることができなかった。
そこには我らより先にどこかの国の団体さんがやってきていて、その見えない向こうの景色を一所懸命眺めていたが、彼らにとっては見えないその向こうの景色は恐らく「聖地」なんだろう。
キリスト教にせよ、ユダヤ教、イスラム教にせよ、それらの宗教にはほとんど関わりなく生きてきた身としては、それらの宗教の信者たちとはどうしても温度差が表れてしまうものだろう。
(そうは言っても、一応はキリスト教系の大学を出ているんだけどね・・・^_^;)
その近くには、
モーゼの杖のモニュメントが建てられていた。
この杖も、見る人、民族によってはかなり感慨深いものがあるんだろうか・・・。
さて、見えるものもよく見えないし、何だか空気が埃っぽい感じがする。
それに外を歩いていると思っていた以上に暑い。
そんな中、資料館があると言うことで、その中を見学することにした。
中には、
ビザンツ時代のモザイク画が展示されていた。 そのモザイク画はなかなか素晴らしいものだった。
そんなことで、約20分ほどネボ山に滞在した後は、何だか消化不良のような気持ちを持ちつつ再びバスに乗って、次の「マダバ」の町に向かった。
(マダバ)
ネボ山を出発すると、来た道キングスロードを戻って約10分、マダバの町に着いた。
マダバは人口9万人で、イスラムの国ヨルダンにおいては
人口の半数がキリスト教徒と言う珍しい町だった。
そして、そのマダバは、アンマンから南へ30kmほど行ったところにある。
このマダバの町には、
聖ジョージ教会、処女教会、12使徒教会、殉教者教会など10の教会があるが、我々はその中の
「聖ジョージ教会」を見学した。
バスを降りてビジターセンターの前を通ってその先の土産物店が並ぶ通りを歩くと、その先に
聖ジョージ教会は建っていた。
それほど大きくないその教会の中に入ると、いきなり目の前にはロープが張られた一角が現れた。
そのロープに囲まれた中、床には見事なモザイク画が描かれてあった。
このモザイク画は、パレスチナの地図を描いているもので、何と、モザイク画としては世界最古のもので6世紀の頃描かれたものだと言う。
このモザイク画が描かれた当初は7m×25mとかなり大きなものだったが、現在では5m×10mほどになっている。
天然石を使っているため、時間が経過しても人に踏まれても色褪せることがなく、
230万ピースの石と159か所の地名ピースを貼り付けるだけでも11,500時間掛ったと言う説明だった。
794年の地震で倒壊したと言うこの教会だが、よくも無事にモザイク画は残っていたものだ。
(昼食)
さて、聖ジョージ教会の見学を終えると、昼食を摂るためにレストランに向かった。
途中の土産物店が並ぶ通りには、これがヨルダンの土産なのか、
小瓶に砂を入れて作ってあるものがたくさん売られていた。
見ると、砂漠にラクダが歩くデザインに
「PETRA」とか
「JORDAN」と書かれてものが多い。
砂絵とでも言うものなのか。
PETRAと言えば、これからの行程で向かうヨルダン最大の観光地で一番期待しているところ。
ならば現地で買えばいいかな?、と皆さんもそう思っていたのか、足を止めて見る人はほとんどいなく、また店の人もエジプトで「1ダラァ~」と度々声を掛けてきたような売らんかな、と言う店の人もいなかったので、その通りは軽く通り過ぎてそのまま来た道を戻ってビジターセンター近くにあった
「ALDARB」と言うレストランに入った。
ヨルダンに入っての初めての食事。
一体どんな料理が出るのかと思っていると、その店ではバイキング式の食事だった。
内容としては、エジプトで毎度毎度出されていたペースト系のもの、それとナン。
野菜はトマトやキューリ、キャベツなどのサラダ、それにスープなど、概ねエジプトで食べた料理と変わらないと言った感じだった。
そして、
ビール。
まずはどんなビールが飲めるのかと思って注文してみた。
出てきたビールは「PHILADELPHIA」と書かれていたラガーの缶ビール。 JORDANと書かれいているので現地のビールだろう。
これが
1缶3JD。 残るは28JD。
こんなことで大丈夫か?、、、
^_^;
(一路、アカバへ)
昼食を終えると、時刻は午後2時20分を過ぎていた。
そしてこの後は、バスに乗って午後2時30分、一路アカバへと向かった。
アカバと言えば、内陸国ヨルダンの最南端で、唯一港として持っている町。
中学生の頃、学校の授業の一環として、横浜の関内の伊勢佐木町にあるピカデリーと言う映画館に行って観た映画
「アラビアのロレンス」の中で、アラブの民族
ベドウィンを率いてラクダに乗って勢いよくアカバに向かって進軍していた時にロレンスが叫んでいた
「アカバ!」と言うセリフが今でも印象に残っている。
そして、オスマントルコ軍が守るアカバの町を攻め落とす、、、そんな記憶にある町、アカバに向かった。
マダバを出ると、今度は
デザート・ハイウェイと言うアンマンから南下している2本の主要道のうちの1本の道を走って行った。
マダバを出てから約1時間、
カタラーナと言う町に入ったところで、最初のトイレ休憩を取った。
「DOLMEN」と言うその店には、ヨルダンの主要観光スポットである「死海」関連の塩を使った化粧品などを売っていた。
そして、トイレ休憩を終えた人の中には早速土産として値段交渉をしながら、大量に塩の化粧品を買っていた人がいた。
しかしこの店は、再びアカバからアンマンに戻る時に立ち寄ると言うことだったので、土産を買うならその時でもいいかな、と思って取り敢えず下見だけをすることにした。
約20分ほどその店で休憩を取った後は、再びバスに乗り込んでアカバへと向かった。
その後約2時間、砂漠の中の道を走った後の午後5時35分に
ラス・ナガブと言う町でトイレ休憩を取り、その後午後6時40分頃アカバの町を前にして、何故か税関があると言うことでそこでチェックを受けた後、午後7時、漸くこの日の宿泊地アカバのホテル
「ムーベン・ピックホテル」に到着した。
あれ???
ムーベン・ピックホテル???
どこかで聞いた名前だなぁ~と思ったら、エジプトツアーで初日のギザで宿泊したホテルが、まさにムーベン・ピックホテルだった。
(ホテルにチェックイン)
ホテルに着くと、
中に入る際に手荷物と身体のX線チェックを受けた。
今年の1月に訪れたエジプトでもホテルに入る際にX線チェックを受けたが、正直エジプトではそのX線チェックも
形だけ、と言う印象を受けた。 ホテルによっては、X線の機械だけ置かれていて、実際の検査はほとんどないホテルもあったくらいである。
しかし、ここヨルダンで最初に泊まるこのホテルでは、ホントにチェックされた。
これだけまじめにチェックをされると、まじめにチェックをしないと危険?な場所なんだ、と思ってしまう。 緊張感が高まった瞬間だった。
一度部屋に入った後、午後7時45分からホテル内のレストランで夕食を摂ることになった。
レストランはホテル内のスペースの他、テラスと言うか同じフロアで外のテラスがあったが、この時は室内での食事となった。
そしてどんな食事が出てくるのか?と思っていると、
昼食の時と同じくバイキング式で、自分で好きな料理を選んで来る形であった。
それで皿を手に取って料理を盛ろうと思って行くと、そのレストランのコックのような人が料理が並べてあるテーブルの向こうから「コンバンハ!」とにこっと笑って一言言って来た。
それを聞いた瞬間、このホテルはかなりよく出来ているホテルだと思った。
と言うのは、中東の人が我らを見て、チャイニーズとかコリアとか間違えることなく「コンバンハァ~!」と言ってくれたと言うことは、予め日本の客がこの時間に「来る」と言うことが周知されていた上での対応だったのではないか、と思ったからだ。
そんなことを思いつつ、同じテーブルに座ったツアーの人から、今までのツアーでの話、行ってみてよかった国、また行った国で遭遇したトラブルなどの情報を聞くことができた。
同席した皆さんは、相当の旅慣れた人。 こんな機会に旅の経験話を聞けるなんて、ありがたいことであった。