第七日目 3月14日(金):その1
ダマスカス市内観光
ヨルダンからシリアに入国した翌日のこの日は、午前中はダマスカスの市内観光をし、その後はシリア最大の観光地「パルミラ」へ向かった。
(相席)
シリアでの初めての朝は、7時近くに目が覚めた。
それでちょっと出遅れた感じで、昨日の夜食事をした小さめのホテルの
レストランに行くと、同じツアーの皆さんはほとんど席に着いて食事をしているところだった。
それで空いているテーブルを見つけて席を確保した後、料理を取りに行った。
そしてテーブルに戻って来ると、何と、向いの席に男性が一人座っていた。
そしてこちらに気が付くと「あ!、、、ここ、よろしいですか?」と日本語で話し掛けてきた。 どうやら日本人のようだった。
そして「いいですよ」と言うと、60歳を越したくらいの年齢のその男性はほっとしたようだった。
食事を始めながら、それとはなく彼と話をすると、彼は前日夜日本からダマスカスへ入って来た
「ワールド航空」と言うツアー会社の客とのことだった。
ツアー初日の朝と言うことで他のツアー客とは今一まだ馴染んでいなかった上、
11人と言う彼らのツアーの中で、何と男性は彼一人と言うことで、何となく一人の朝食となった、と言うことだった。
そんなことで、その彼と向いあってツアーの話などあれこれ情報交換をしつつ食事を終えた。
隣りのテーブルではあれこれ楽しそうに会話をしていた4人の女性客がいたが、彼女達が食事を終えてレストランを出て行こうとして我らのテーブルの横を通って行く時に、その男性に「あら? お知り合いの方がいたの?」と声を掛けて行った。
彼と同じツアーの客とのことだった。
一人でツアーに参加していると、いろいろなことがあるものだ・・・(^.^)
(初の朝の散策)
さて、食事を終えると出発まで多少時間があったので、このツアーに来てから初めての朝の散策に出かけた。
ニュースなどでは時々名前を聞いていた「ダマスカス」と言う町。
ホテルの外に出ると、路面はしっとりと濡れていて、昨晩雨が降ったと言うことがわかった。
取り敢えず、観光地のひとつになっていて、我らのツアーもこれから向かう場所になっている
「ヒジャーズ駅」が近くにありそうだったので、そこに向かうことにした。
8時過ぎと言う時間なのに意外に町は静かで、ヨルダンの朝の町で感じた喧噪が感じられなかった。
そんなに人通りのないメイン道路沿いの歩道を歩いてほんの数分、道路の突き当りに、シリアの国境がはためく建物があった。
そこが「ヒジャーズ駅」だった。
「駅」と言っても現在は使われていない「駅」。 しかし歴史的には価値のある駅と言うことで後日ここには観光で立ち寄る予定だったので、駅前で様子を覗うだけにしてホテルまで戻ることにした。
そのヒジャーズ駅やそこからホテルに戻るまでの間で、時々日本人の観光客と思われる人の姿があった。
さすがシリアの首都ダマスカス、ってことか? この町で滞在したりこの町を通過点とするツアー客が多いと言うことなんだろう。
(市内観光へ出発)
集合時間前にロビーに行くと、同じツアーのMさんご夫婦に声を掛けられた。
「さっき町を歩いているのを見かけたけど、誰かお知り合いでもいたの?」と聞かれた。
「いえ、ちょっと街歩きでもしようと思って」と答えると、
「すごいスピードで歩いていたんで、誰かお知り合いの方でもいて、待ち合わせでもしているのかと思ったわ」と言われてしまった。
「よく『歩くのが早い』って言われるんです、、、^_^;」
いやはや、、、またまたやっちまった、かな?^_^;
さて、我らは8時50分の頃、シャーム・パレス・ホテルを出発して、ダマスカス市内観光に向かった。
まず向かったは、
「国立博物館」である。
*国立博物館:シリア国中から発掘された出土品の数々が一堂に会している博物館。 世界最古と言われるウガリットのアルファベットが彫られた粘土板に始まり、ユーフラテス川沿岸のマリから出土した土器やアクセサリー、5SP札に印刷されている像などが展示されており、考古学だけでなく古典的なイスラム建築の展示など見ごたえのある施設だ。(「地球の歩き方」より)
正面入口には、ウマイヤ朝の宮殿に使われていた
「カルス・アルヒーラの門柱」を真似て造られたと言う門柱が飾られていた。
その門柱をくぐって中に入ると、、、
内部の写真撮影は不可となっていた。 残念!
と言うことで画像の記録はないが、中には様々な遺跡、遺物が展示されていた。
展示室は時代によって3部屋に分かれていて、
全部をざっと見るだけでも約1時間半かかった。
印象に残っているのは、ウガリット遺跡(今後の行程で訪れる予定)で発見された紀元前1,600年から1,200年前の石版で、それには
初期のアルファベットが書かれていた。
そんなウガリット遺跡では、このような石版が20,000個も発見されていると言う。
また、そのウガリット遺跡で発見されたフィギアはエジプト風のデザインで、エジプトの影響を強く受けていると言う。
確かに今年の1月に訪れたエジプトでそのようなフィギアを見たことを思い出した。
また、パルミラ(ここも今後の行程で訪れる町)から320km東にあっと言われる「マリ王国」の跡で発見された紀元前2,600年から2,400年の頃の男性の像が展示されていた。
それは、頭を丸め長い顎鬚をつけ胸の前で両手を組み(重ねる)、ウール製のスカートをまとっている姿であった。
また、展示室のあるフロアから階段を降りて地階に行くと、そこには紀元2世紀頃のパルミラから持ってきた
4つの「墓」があった。
それは個人個人の墓とリーダーと言われる人とその家族の墓だった。
そんな展示品を見学した後、出口のところでは、この博物館の収蔵品を納めたカタログが販売されていた。
写真の撮影ができなかっただけに買おうかと思ったが、値段が何と
27ドルもした。
それでちょっと考えた末、買うのも諦めてしまった・・・。
む~、、、今から思うと買っておけばよかったかも・・・。 後悔先に立たず、、、とほほ。
(サラディーン廟)
国立博物館を出た後は、バスで500mほど移動して城塞に囲まれた旧市街・オールドダマスカスへと向かった。
バスを降りてからゆっくりと移動すること約20分、まずは
「サラディーン廟」へ向かった。
*サラディーン廟:エルサレムを陥落し、十字軍の手から各地の領土を奪い返したアラブの英雄サラディーン。 いまの彼の魂は、小さな木製の棺に眠っている。(「地球の歩き方」より)
一部屋しかない小さな建物に入ると、その中には
棺が2基置かれてあった。
木棺と石棺だ。
緑色の布の覆われている方がサラディーンが眠る木棺で、その隣りにある石棺は1889年にドイツから贈られたものと言う。
(ウマイヤド・モスク)
サラディーン廟を出るとそのすぐ近くに
「ウマイヤド・モスク」があった。
*ウマイヤド・モスク:ウマイヤ朝の時代、715年に建てられた世界でも指折りの歴史を持つモスク。 ここは紀元前2000年紀にはすでに聖域とみなされていた区域で、洗礼者ヨハネ教会を改築して建てられた。(「地球の歩き方」より)
添乗員さんの説明によれば、
完全な形で残る世界最古のモスクと言う。
156m×76mと言う広いモスクの中に入ると、今日はちょうど
金曜日で礼拝の日と言うことだったので、続々とイスラムの信者達が集まりつつあった。
女性はそのままの格好では中に入れないので、入口のところにあった
マントのような衣服を借りて、女性の皆さんはそれを着て中に入った。
建物の一角には、小さな建物が建っていて、その中には
「洗礼者ヨハネの首」が納められていると言う。 ( ↓ )
(アゼム宮殿)
そして、ウマイヤド・モスクの隣りには
アゼム宮殿」が建っていて、現在は民族資料館として一般に公開されている。
そこには「学校の間」「玄関の間」「昔の楽器の展示室」「結婚式の様子を見せる部屋」「女性が暮らす様子を見せる部屋」「控えの間」「男性が過ごす部屋」「武具の間」「ハマムの間」などがあって、それぞれを見学した。
ところで、これらの部屋を見学するに当たっては、この時既にこれらの部屋を管理する人の昼の休憩時間に入っていたようで、最初は見学を断られたが、ここでもガイドさんが何やら交渉してくれて、何とか部屋の鍵を開けてもらったようだった。