第十日目 3月17日(月):その2
サラディーン城
(山脈を越える)
9時10分にそこを出発すると、その後は一路、次の目的地である「サラディーン城」に向かった。
エブラからサラディーン城に行くには、
前方に聳える「アラウイト山脈」を越えて行かなければならないと言うことで、バスは徐々に高度の高いところを進むようになって行った。
エブラを出発してから約1時間、バスはその山脈の麓の町を通過した。
その後徐々に上がって行くようにバスは走ったが、峠を越える辺りに差し掛かると採掘場があって、その近くではあちこちで道路工事をしていた。
そしてその辺りでは
高架の道路も造っているようだった。 その道が完成すると、ラタキアへ向かう道もかなり整備されるのかもしれない。
今まで、ヨルダン~シリア国内をバスで走って来て、これだけの道路工事をしているところは見たことがなかった。
国家建設の第一は、やはり道路整備と言うことなんだろうか?
それくらい、「大型バスがこんな道を走っていいの?」と思うような山道をバスは進んだ。
そしてその後10時40分を過ぎた時に、
「アブ・カスタル」と言う町に入った。
しかし町とは言っても、山岳地帯の中に「こんなところにも町があるんだ・・・」と言うような山の中で数軒?のドライブインと言うかレストランのような建物があるくらいに見えた。
そんな店の中の一軒のドライブイン?でトイレ休憩を取った。
休憩を終えるとバスは更に山道を進んだ。 ある場所では対向車が来たら、絶対にすれ違えないと言うような細いこところもあったが、運よく?対向車とすれ違うこともなく、、、と言うか、それくらい交通量の少ないガタガタ道を進んで、11時45分の頃、無事遠くにサラディーン城が見えるレストランに到着した。
(レストランでミニバンに乗り換え)
そのレストランはこの日の昼食を摂るレストランで、ここで我々はバスを降りて、ミニバンに分乗してサラディーン城に向かうことになった。
*サラディーン城:ラタキアの東25km、三方を急峻な谷に囲まれた天然の要塞の尾根の上に、遠く地中海にまでにらみをきかせている城がある。 1187年ハッティンの戦いで十字軍を破って、エルサレムへ無血入場を果たしたサラディーン(サラーフ・アッディン)は、ヨーロッパから来るべき十字軍の援軍を迎え撃つため、翌年この城を攻め落とした。 多くの城は十字軍によって取り戻されたが、その後もずっとイスラム側の拠点となったこの城は、英雄を称えて、「サラディーン城」と呼ばれるようになった。(「地球の歩き方」より)
レストランのところからは谷を隔ててサラディーン城が見えていた。
我らがそこに到着した時に、行き違いのようにそこから
ミニバンが何台か出発したばかりだったが、ガイドさんが言うには、今出て行ったミニバンが戻ってくるのを待たねばならないと言う。
なるほど、、、ミニバンはピストン輸送をしているって言うことか・・・。
と言うことで、そのレストランの近くで待機していると数分後、思いの外ミニバンが戻ってくるのが早く、それらに分乗してサラディーン城に向かった。
そして、ミニバンに乗ってその谷を越えるようにして細い山道を下って上って行くと、意外に早くサラディーン城の入口に到着した。
ミニバンから降りて
城の入口の方を見ると、
切り立った両側の崖の間に、オベリスクのような柱?が建っているのが見えた。
そこは、岩山をくり抜いて25mほどの切り立った崖のようになっているところで、オベリスクのように見えていたのは、その上に両側から
「はね橋」が架かっていた場所でそのはね橋を真ん中で支える柱のようだった。
その入口から城内に入って、あちこちと説明を受けながら城の一番高いところへ上ると、そこからは周囲の眺望がすばらしくよく見えた。
そこは
「リーダーシップタワー」と呼ばれているところだった。
そして城の内部はイスラムの城らしく、
ハマムや
モスクなどの跡もあった。
また、城と言えば籠城戦などに備えて「水」の供給が不可欠だが、この城では岩山をくり抜いた
巨大な貯水タンクを造って、その中に雨水を溜めてそれを沸かして飲んでいたと言うことだった。
1時間強ほど城の見学をした後は、ミニバンが来るのを待って観光バスが止まっているレストランまで戻った。
そして、そのレストランで昼食を摂ることになった。
(昼食)
サラディーン城が見える眺望のよい席で、まずは前菜として
キューリや
トマトが丸ごとだされてどうしていいもんだか皆さん戸惑ってしまった。
それでもナイフでカットしてかぶりつくと、結構食感がよくて、美味しく食べることができた。