第五日目 9月19日:その1
タブリーズの朝の散策
*タブリーズ:
アゼルバイジャン、トルコ、イラクの各国に囲まれたイランの最北西地域の中心都市。 古来より、ヨーロッパとアジアを結ぶ貿易路の宿場町として、何世紀にもわたって重要な役割を果たしてきた。
この街の初期の歴史については諸説あるが、その起源はおそらくササーン朝にまでさかのぼると考えられている。
13世紀頃にはモンゴルのイル・ハーン朝のもとで何度か首都となり、この頃街は最盛期を迎える。 そして、繁栄の象徴であるバザールが商業の中心として発展した。(中略)
1392年、街はティムールやトルクメンに支配され、続いてアク・コユンルやカラ・コユンルといったトルクメン系の王朝の都として繁栄し、サファヴィー朝でも国の首都となった時期がある。
しかし、トルコとの国境がすぐそこまで迫っているため、常に敵の攻撃に悩まされ、オスマン朝との最前線になり、タブリーズが占領された時期もあった。 しかも地震と疫病が追い打ちをかけ、次第に衰退の道をたどることとなる。
20世紀初頭になると、経済開放政策を契機に内陸部と黒海をつなぐ交通拠点として街は再び脚光を浴びた。(「地球の歩き方」より)
朝の市内散策に出る
朝は6時30分に目が覚めた。
窓を掛けて外を見ると、まだかなり薄暗く、ホテルのすぐ傍を高速道路のような自動車専用道路が走っていた。
イランに来て、このような4~6車線もあるような道路を見るのは初めてだった。
そのことからすると、このタブリーズと言う町は、イラン北西部の中ではかなり大きな町なのかな?と思ったが、後から聞いたセイフィさんからの説明によると、イランの大きい都市は、
1.テヘラン 2.マシャド 3.タブリーズ、、、と言うことだった。
なるほど、、、
確かに、今まで訪れて来たケルマンシャーやハマダンとは違って「都市」と言う印象だった。
ホテルの出発は9時だったので、時間的にはかなり余裕があった。
それで、モーニングコールを待たず、朝食前に市内を少し散策して来ようと思った。
夏時間のため夜は結構遅くまで明るいが、朝は逆に遅くまで薄暗い。
それでも7時を過ぎるとぼちぼち明るくなって来たので、出かける準備をして7時20分過ぎに部屋を出た。
そしてホテルのフロントに寄って、そこでホテル周辺の地図をもらった。
「地球の歩き方」のタブリーズのページには宿泊しているホテルは広域図にしか載っていなかったので、ホテル周辺の地図がゲットできたのはありがたかった。
そして、取り敢えず「シャフルダーリー広場」に向かおうと思った。 シャフルダーリー広場までは地図を見ると大体片道2kmくらいだから、往複でも1時間あれば充分に帰って来れる距離だった。
8時20分頃までにホテルに戻ってくれば、それから食事を摂って、8時55分の集合時間には何とか間に合うだろう。
昨晩は暗くなってからホテルに入ったのでホテル周辺の様子はわからなかったが、地図を持ってホテルを出ると目の前は大きな交差点になっていた。
そこは、市内の中心部に向かうエマーム・ホメイニ通りの上をホテルの部屋から見えた自動車専用道路が立体交差の形で跨いでいる交差点になっていた。
その交差点の下が、バスの待機所?みたいな形になっていて、何台かのバスが駐車していた。
ところで、「エマーム・ホメイニ」と言えば、イラン革命を指導したイスラム教の指導者の名前で、イランに着いた時の国際空港の名前がそうであり、最初に宿泊したハマダンの町の中心部にあった広場の名前がそうだった。
あちこちにエマーム・ホメイニ氏の名前が付けられていると言うことだ。
現地の人の親切
フロントで地図をもらう時に「シャフルダーリー広場」へ向かう方向を聞いたが、今一言葉が通じず、取り敢えず方角について「あっちだ」と言う感じで教えてもらった。
それでホテルを出たところで早速もらったばかりの地図を広げてさて、、、どっちへ行ったらいいのかなぁ~?と見ていると、、、
と言うのは、ホテルを出たところが先にも書いたように大きな交差点になっているので、右か左か、または手前の方角か向こうへ行ったいいのか、考えてしまった。
そして、フロントで「あっちだ」と言われた方向を見ていると、「どこへ行くんだい?」と英語で話しかけられた。
頭を上げると、声をかけてきたのは40代と言ったところのビジネスマン風の男性だった。
イランではネクタイはご法度なのでネクタイは締めてなかったが、しゃきっとした感じの男性だ。
それで、向かう場所、目的地の名前が咄嗟に出てこなかったので、地図を見ながら「シャフルダーリー?・・・」、残念ながら「広場」と言う意味のイラン語がわからなかったので、そこで言葉が詰まってしまったが、それを見て聞いて、その男性は「ファー!」と言って、右手で「わかった、こっちに来い!」と言うジェスチャーをして「タクシー!」と言った。
それで、彼はシャフルダーリー広場までは遠いのでタクシー乗り場まで案内しましょう、と言うことで案内してくれるのだと思い、すぐに「ノー! ウォーキング!」と言いながら両腕を前後に振るゼスチャーをした。
すると彼はちょっと驚いた顔をして「イチキロメーター!」と日本語で応えてくれた。
その言葉を聞いてちょっとびっくりしたが「オーケー、ウォーキング(^.^)」と言うと彼は右に続いている道を指し示してくれて、そのまま立ち去ろうとした。
それで、ちょっとイラン語の言葉を思い出しながら「ヘイリー・マムヌーン(ありがとう)」と声を掛けると、彼はニコッと微笑んで「アリガトーゴザイマース」と言って右手を差し出して来た。
それで反射的に右手が出て彼と握手をして彼と別れたが、、、
イランの最北西部のこの町で、簡単ながらも日本語の単語を聞くとは、ちょっと驚いてしまった。
それに、何故こっちが日本人だとわかったんだろうか?
この辺りに来る東洋人は日本人くらいと言うことなんだろうか? それとも、頭の上に自分には見えない日の丸でも立ってたんだろうか???(*_*)
頑張る日本企業
朝とは言え、まだ完全には明るくなっていない時間、そして今日は金曜日でイスラム教では休息日と言うことでか、町の中での人出は少なかった。
シャフルダーリー広場までの一本道を歩いて約15分ほど経った頃、歩道沿いに建っていた店に掛っている看板にアルファベッドで「ZEBRA」と書かれた文字とボールペンの絵が描かれているのが見えた。
(これは、日本の文具メーカーのゼブラ社の広告かな?)と思って立ち止まってもう一度よく見てみると、小さな英文字で「This is a pen」、そしてその下に更に小さな英文字で「Made in JAPAN」と書かれているのが見えたので、これはもう間違いない、、、あの、ゼブラ社だ、と確信した。
「This is a pen」とは、何とも日本的なコピーだなぁ~なんて思いながら、欧米の主要国ならまだしも中東のイランで、そして更に言うならイランであっても首都のテヘランならまだしも、ほとんどの日本人は恐らく知らないであろうタブリーズと言う町で、日本の企業もっと詳しく言うなら、そこに駐在しているであろうビジネスマンの努力している姿を想像すると、(頑張ってるなぁ~)と頭が下がる思いがした。
そう言えば、日本製のボールペンは性能がいいため、海外では日本から持って行くにはいい土産物になると言う話を聞いたことがある。
日本では、ボールペン1本、買ってもせいぜい100数十円と言うところだろう。
その1本せいぜい100数十円の製品が日本の技術力を表現し、海外の人々に「技術立国日本」を印象付けているとすると、もしかしてたった一人の駐在員かもしれないその人の仕事、功績は大きいものだと思った。
確かに、ホテルに備え付けてあるボールペンを使うと、すぐにインクが出なくなったり、ちょっと書かないで置いておくとインクの出が悪くなったりする。
それを考えると、日本製のボールペンは最後の最後まで綺麗に、そして最近の製品はぼてることもなく使い切れるのは、最近では当たり前のように思ってしまうが、よくよく考えるとなかなか素晴らしいことで、これぞまさに「Made in JAPAN」だと思った。
シャフルダーリー広場に到着
そして、その先少し歩いたところで、今日午前中に見学に来る「ブルーモスク」と「アゼルバイジャン博物館」の前を通った。
ちょっと「予習」をしに来たと言う感じだ。
そして、シャフルダーリー広場には7時55分の頃到着した。 ホテルを出てからちょうど30分掛ったことになる。
そこは広場と言うより大きな交差点だった。 その交差点の真ん中に噴水があって、どうもそこが「広場」の形になっているのかもしれなかった。
そして、そこに着いた時間がほぼ予定通りだったので、そこからホテルまで引き返すことにした。
別の現地の人にも声を掛けられる
来る時はなかったが、帰り路では歩道をトラックが塞いで何だか工事が始まっているところに出くわした。
そこに近づくと傍にいた男性が「ここは通れないので車道側を歩いてくれ」と言うようなジェスチャーをしたので、少し歩道を戻って道の脇の幅の狭い用水路のような水路に架かる部分を歩いて車道に出た。
そして車道を歩き始めると、「ウェイト! ウェイト!」と大きな声で呼ぶ声が聞こえて来た。
最初は全く気にしてなかったが、もしかしてその声は自分のことを呼んでいるのかも?と思って声のする方を見ると、今、車道の方に誘導した男性がこちらに近づいて来てこちらに向かって「どこから来たんだ?」と英語で話し掛けて来た。
それで「ジャパン」と答えると「オー、ジャーポン!」と大きな声を発して手を振ってくれたので、こちらからも手を振り返した。
イランでは、日本は「ジャパン」ではなく「ジャーポン」なのだ。
朝食はひとりで
ホテルには8時20分に着き、一度部屋に戻ってから急いで1階のレストランに行って食事を摂った。
イランに来てからの朝食は、どのホテルでもパンやナンも用意されていたが、専らシリアルを食べていた。
大体普段自宅で摂る朝食もそんなにたくさん食べていないので、シリアルに牛乳、それにフルーツがあれば充分だった。 それに卵とサラダでもあればもう言うことはない。
さてそんな時間だから、レストランには同じツアー客の人は一人もいなくて、セイフィさん、ハタミさん、イスマイルさんの我らの現地スタッフ3人だけが食事をしていた。